戦国策

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 中国古代戦国時代のことが書かれた「戦国策」をシリーズで掲載しています。今日から魏の国です。魏は中原という中国の中心にあって、「天下の枢」と称されました。戦国初期、他国に先駆けて国内の改革に着手した結果、当時の最強国にのしあがりました。中原は文化もひらけていましたが、反面、戦乱に巻き込まれる回数も少なくありませんでした。魏はそれで、急に国力を消耗していきます。特に決定的な損害を受けたのは、斉との「馬陵の戦い」です。

 さて、どんな物語があるのでしょうか。今日のテーマは「ムチャな話」です。
 魏の宰相が病に倒れました。それを見舞った恵王(けいおう)が言いました。

王「そなたにもしものことがあれば、いったい誰に国政を任せればよかろう」
宰「わたしの家臣に公孫鞅(こうそんおう)と申す者がおります。国政のことでしたら、どうかこの男にお任せになってください。それができなくとも、彼を国境から出してはいけません」

 王はそのまま座を立ち、お側の物に言いました。

王「嘆かわしいことだ。宰相ともあろう者が、国政のことなら公孫鞅に相談せよと申す。まるでムチャな話だ」

 間もなく宰相は亡くなりました。この話を聞いて、公孫鞅は魏を出奔して秦に向かいました。秦の王は彼を受け入れました。それからというもの、秦は日増しに強大になり、魏はしだいに領地を削られました。

 ムチャだったのは、宰相ではなく、恵王だったのです。ムチャでないものをムチャと考える。これが真のムチャなのです。自己都合で自分を基準にムチャと考える事ほど、自分の人生を妨げるものはないのでしょうね。

※公孫鞅
 彼は、その後、秦を法治国家に変えるという大改革を行い秦を強大な国にします。最終的には、その法律が厳しすぎて、真の王族の怨みを買い、殺されてしまいますが、彼がなくなった後も、秦は法治国家として力をつけて、中国統一へと向かいます。

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このページは、宝徳 健が2010年1月 6日 00:09に書いたブログ記事です。

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