和歌

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。

 昔のある人がこんな歌を詠んでいます。

 こしらへて 仮の宿りに休めずば まことの道を いかでしらまし
 仏教の法華経にはいろいろなたとえ話で人々のレベルに応じて理解させています。つまり、悟りというのは、如来ができるもので、それを一律の言葉で分からせようとしても、人によって理解度も違いますし、シーンも違います。だから、それを面白いたとえ話で教えています。
 こんなたとえ話があります。「仮の城によるたとえ」です。

 多くの人々が指導者を得てはるか遠くにある珍しい宝を求めに出たところ、道が険しくて疲れ果て、人々は途中で引き返そうと言い出しました。指導者はそこで幻の城をつくり、あの城に行くと、食べ物もお風呂も女性もいるぞと言って休ませると、一同大いに元気付きました。
 さて、今度は人々は、そこから出たくないといいましたが、実は城は幻です。消えてなくなっています。でも、幻ではなく真実の宝物は近いぞ!と言って、励ましながら人々を導きます。
 これにはふたつの意味があります。ひとつは、生きる道を求める者が途中で心が折れることがないように、途中の楽しみや休息を与えて元気付けることの大切さ。もうひとつは、仮の城でえられる自分本位の達成感を戒め、真の目標達成に向かう努力の大切さです。企業経営も一緒ですね。

 今日紹介した和歌はその法華経のシーンを詠んでいます。

 では、拙首です。

 苦しみの 中だからこそ 人々の 支えが真に ありがたくなる

 苦しいときほど、人様がしてくれる行為がありがたく思われます。もし、苦しくなかったら、そんなに思わないかもしれませんね。では、苦しくないときも常に常に、いろいろなことに感謝する人間になるには・・・・・。精進します。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/351

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2010年2月 8日 08:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「JAL支援を検証する①(2月6日の日誌)」です。

次のブログ記事は「貞観政要」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。