和歌

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 大伴家持(おおとものやかもち)の人生を紹介しています。
 後ろ盾だった橘諸兄(たちばなのものろえ)が、失脚します。家持はみなから遠ざけられます。でも、大友家が生き残るために、砂を噛む思いで敵方の歌会に出席をします。でも、敵方は、家持を万葉集の編者としって、歌も手渡してもらえません。758年、家持は因幡守(いなばのかみ)となり、赴任します。そこで、最後の歌を詠みました。

 新しき 年の初めの 初春の 今日(けふ)降る雪の いやしけ吉事(よごと)

 家持四十二歳です。筆を折るには早すぎます。でも、大伴一族に対する重い責任もほとんど果たせず、家持自身の心が枯渇したのであれば、しかたがないことです。万葉集の編纂だけが家持の心の支えになりました。

 さあ、家持が悲壮な人生の最後を迎えます。つづく。

 では、拙首です。

 岐山より 天下を望む この地にて 咲き誇るのは はなみずき花

 この時季の岐阜は、はまみずきが見事に咲いています。とってもきれいですよ。岐阜という名前は織田信長がつけました。「周の文王、岐山(きざん)より起こり 天下を定む」という中国の故事を元にしています。岐山は、諸葛亮孔明も魏との対決の際に、重要視したところです。

 はなみずきの花です。

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このページは、宝徳 健が2010年4月28日 16:59に書いたブログ記事です。

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