このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
大伴家持(おおとものやかもち)の人生を紹介しています。
大伴家持(おおとものやかもち)の人生を紹介しています。
家持は、桓武天皇の御代、皇太子の教育係になります。万葉集の巻が出来上がるたびに献上して、皇太子に奈良魂を諭しました。万葉集は皇太子の倉に保管され
ていたのです。
時は藤原氏全盛です。朝廷は藤原氏のいいなりになって遷都を繰り返しました。この時季に長岡京遷都に皇太子は強く反対し ました。そのために、皇太子は流される途中、自ら命を絶ち、家持は奥州多賀城に流されてしまいます。皇太子の死を知った家持は、病気であっけなく他界して しまいます。
藤原氏から、遺骨を遺族に渡すことも禁じられ、少納言の名前も没収されてしまったのです。長男も流されてしまいます。
そ れから二十余年、桓武天皇のご病気快癒を願って恩赦があり、家持は、再び少納言の地位を得ました。でも、草葉の陰から家持がもっとも喜んだのは、次の皇太 子が、保管されていた万葉集を読まれ、世に出されたことでしょう。
これで家持の人生の紹介は終わります。
さて、拙首 です。
平成の 御代を生き抜く 国民は 忘れてならじ この昭和の日
時は藤原氏全盛です。朝廷は藤原氏のいいなりになって遷都を繰り返しました。この時季に長岡京遷都に皇太子は強く反対し ました。そのために、皇太子は流される途中、自ら命を絶ち、家持は奥州多賀城に流されてしまいます。皇太子の死を知った家持は、病気であっけなく他界して しまいます。
藤原氏から、遺骨を遺族に渡すことも禁じられ、少納言の名前も没収されてしまったのです。長男も流されてしまいます。
そ れから二十余年、桓武天皇のご病気快癒を願って恩赦があり、家持は、再び少納言の地位を得ました。でも、草葉の陰から家持がもっとも喜んだのは、次の皇太 子が、保管されていた万葉集を読まれ、世に出されたことでしょう。
これで家持の人生の紹介は終わります。
さて、拙首 です。
平成の 御代を生き抜く 国民は 忘れてならじ この昭和の日
コメントする