和歌

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 藤原定家の歌にこんなものがあります。

 夏ぞしる 山井の清水 たづねきて おなじ木かげに むすぶ契りは
「暑い夏に有名な山井の清水を求めてここまできたら、むかしあなたとHした木陰がそのまま残っていて懐かしく感じました」

 なんて意味です。昔は野外でエッチする男女が多かったそうです。おおらかだったのですね。

 和歌というのは、決して堅苦しいものではなく、過去の感情を素直に表現して、感動をもう一度味わったり、今の心境を素直に述べたりするもです。日本人の心には、美しいものや味わった感動を、素直に感じるだけで、和歌ができるDNAが備わっています。是非、みなさまも創ってみてください。

 自分を浄化するのにもとっても役に立ちます。上手下手は関係ありません。

 では、拙首です。

 酷暑にて ついわがことを 考える 明日から葉月 祖先帰りが

 暑い日が続きますね。こういう環境だと、つい自分のことを考えますが、もうすぐお盆。祖先が、普段合わない人と合わせてくれます。連絡だけでもいいですね。お盆でいろいろな人と関わる機会を祖先からもらいましょう。

 盂蘭盆会(うらぼんえ)というのは、「さかさづりの苦しさから救う」という意味があります。安居(あんごと言って、普段バラバラに活動している僧侶が一箇所に集まって、一定期間集団で修行する期間をいいます。その最後の日7月15日(旧暦)を盂蘭盆会と呼んで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん:さかさづり)の苦を救うという行事です。こういういわれがあります。

 安居(あんご)最中、釈尊の弟子で、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけました。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出しましたが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入りませんでした。
 哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と 答えました。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをしました。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たち にも伝わり、母親の口にも入りました。
 私たちも、亡くなった方を偲びながらいろいろな人とよい意味で楽しみましょう。亡くなった方が私たちを集めてくださっています。








 

 








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このページは、宝徳 健が2010年7月31日 06:46に書いたブログ記事です。

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