和歌

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 紀貫之の歌を紹介します。

 長月の 有明の月は ありながら はかなく秋は すぎぬべらなり
 月、特に秋の月は、和歌によく詠まれています。昔の人たちは自然のことをよく知っていました。現代人は、そういうことを知らなくなりました。心に情緒がなくなったのです。

少し月のことについて紹介します。今日は、月の満ち欠けによる月齢に伴う呼び方

新月:朔(さく)とも言います。月が見えません。

二日月
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三日月
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上弦の月

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十日夜の月(とおかんやのつき)

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十三夜の月

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満月(望月)

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十六夜(いざよい)の月 まあ、満月に近いものと思ってください。

立待月
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居待月
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寝待月
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更待月

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下弦の月
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二十六夜の月
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三十日月 ほんとうす~い三日月だと思ってください。下弦の月よりさらに薄い


 月の満ち欠けの絵を紹介しましたが、これが、月が出る時間とかでいろいろと表現されるのです。だから、「寝待」とか「立待」という表現になります。日本人ってすごい情緒を持っているでしょ?こんな文化を捨ててしまって、アングロサクソンをあがめたてまつっています。
 英語なんて、fullmoon halfmoon ですよ。アングロサクソンは情緒がありません。日本のすばらしい文化を見直しましょう。戦争に負けたからといって卑屈になってはいけません。


 では、拙首です。

 満ち欠けを 幾度も幾度も 繰り返し 人の心に 思い出残す

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このページは、宝徳 健が2010年8月26日 04:53に書いたブログ記事です。

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