このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納しています。
今日は、拙首だけです。
須磨寺の 首実検の 松の木は 敦盛の無念 直実の悔い
源平一の戦いで、源頼朝は鵯越(ひよどりごえ)を数騎で駆け下り、平家を屋島へと追い出しました。そのとき、熊谷直実(くまがいなおざね)は、海に逃げようとする兵士の武将を「逃げるのか卑怯者」とののしります。その平家の武将は、戻ってきて戦います。組み伏せてみるとなんと、まだ十代の若い武将ではありませんか。平敦盛(たいらのあつもり)です。逃がそうと思った直実ですが、敦盛は、首を切れといいます。
敦盛の墓は、須磨公園にあります。でも、首実検が行われたのは、須磨寺です。須磨寺には義経が敦盛の首実検をしたときに、座った松があります。L字型に曲がっていて、人が座るのにはちょうど良い形です。
直実は、悔います。
先日IKさんの会社に行った帰りに、山陽電鉄で須磨寺の駅を通ったときに、そんなことを思い出して詠みました。
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