このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
一休さんという漫画が昔はやりましたね。その一休禅師の和歌を紹介します。
極楽は 西とは言えど 東にも きた道探せば みんなみにある
一休さんという漫画が昔はやりましたね。その一休禅師の和歌を紹介します。
極楽は 西とは言えど 東にも きた道探せば みんなみにある
ある人が、一休禅師に極楽浄土についてたずねました。「地獄や極楽は、あるとかないとかいわれますが、どうなんでしょうか」
極楽は西方浄土(さいほうじょうど)ともいいます。西の空は夕焼けで金色に美しく染まっていて、まるで極楽のように見えるからです。でも、東の空が朝日で鮮やかになるので、極楽は東にもあるとも言われました。釈尊が北枕にして休んでいたことから、北にあるとも思われていたようです。
でも、一休禅師は、このような和歌を詠んだのです。最後の「みんなみにある」は「南にある」ではなく、「皆、身にある」です。極楽は自分の体の外にあるのではない、自分の中にあるということです。良い歌ですね。
では、拙首です。
身の中に あるのにそれに 気づかずに 外に求めて 道に至らず
極楽は西方浄土(さいほうじょうど)ともいいます。西の空は夕焼けで金色に美しく染まっていて、まるで極楽のように見えるからです。でも、東の空が朝日で鮮やかになるので、極楽は東にもあるとも言われました。釈尊が北枕にして休んでいたことから、北にあるとも思われていたようです。
でも、一休禅師は、このような和歌を詠んだのです。最後の「みんなみにある」は「南にある」ではなく、「皆、身にある」です。極楽は自分の体の外にあるのではない、自分の中にあるということです。良い歌ですね。
では、拙首です。
身の中に あるのにそれに 気づかずに 外に求めて 道に至らず
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