このシリーズは右のカテゴリー「日本の但し歴史」に格納されています。
東京裁判が成り立たなくなることから、マッカーサーが闇に葬ってしまった「東條英機宣誓供述書」を解説しながら、大東亜戦争が侵略戦争ではなかったという、至極当然のことを証明しています。
いつになったらマゾ国家から脱却できるのでしょう。教育というのは本当に恐ろしい。
今日は、北部仏印進駐について、まとめていきます。今日は、東條英機の供述をそのまま載せます。
「要するにわが国が1940年(昭和十五年)九月末に仏印に派兵したことは中国との問題を早く解決する目的であって、その方法は終始一貫平和手段によろうとしたものであります。また実際に派遣した兵力も最小限度に止め約束限度のはるか以内なる四千位であったと記憶します。1941年(昭和十六年)十二月八日、米国ルーズベルト大統領より天皇陛下宛の親書中に「陛下の政府はヴィシー政府と協定し、これによりて五千または六千の日本軍隊を北部仏印に入れ、それより以北において中国にたいし作戦中の日本軍の保護する許可を得た」と述べていることによっても当時の事情を米国政府が正確に解釈しておったことを知り得ます。以上説明したような次第で不幸にして不慮の出来事が起こりましたが、これにたいしては私は陸軍大臣として軍規の振粛(しんしゅく)を目的として厳粛なる手段をとりました。すなわち連隊長以下を軍法会議にかけ、現地指揮官、大本営幕僚をあるいは罷免しあるいは左遷したのであります。これはその前から天皇陛下より特に軍の統制には注意せよとのお言葉があり、また陸軍大臣として軍の統制を一の方針としておったのに基づくもので、軍内部の規律に関することでありまして、これはもとより日本が仏印側にたいし国際法上の責任があることを意味したものではありません」
どうですか?侵略戦争ですか?
次回から、日華基本条約と日満共同宣言です。いよいよ大陸政策ですね。真実に驚きますよ。
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