誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「暗礁に乗り上げた日米交渉」を解説しています。

 残念ながら、前回の松岡外相の態度は、日米関係悪化のひとつの要因となります。悪いところも、この供述書にはきちんと書かれてあります。

 今日は、この供述書の二十九をみていきます。


 日本政府はようやく19421年(昭和十六年)五月十二日に、修正案をアメリカに提出しました。アメリカ側は、これを日本からの最初の申し出であると言っていますが、日本は、四月十八日のものを最初の案としています。

 この修正案の趣旨は以下の通りです。

一、三国同盟条約の適用と自衛権の解釈
 四月十八日案では米国が自衛上欧州戦争に参加した場合においては、日本は太平洋方面において米国の安全を脅威せざることの保障を求めていました。でも、五月十二日の修正案では、三国同盟条約による援助義務は条約の規定によるとしていました。三国同盟の目的のひとつは、アメリカの欧州戦争参加の防止及び欧州戦争がアジアに波及することを防止するためでした。アメリカはこの条約を死文化するよう求めたのでした。信義を守る日本は、条約そのものは無効にできないが、条項の解釈により対応するとしたのです。つまり、日本は、実質において譲歩し協調的態度をとったのです。

二、支名事変関係のこと
 四月十八日案では、米大統領はその自ら容認する条件を起訴として蒋政権に対して、日支交渉をなす勧告をするが、蒋介石がこれに応じないときは米国のこれに対する援助を中止するということになっていましが。
 これに対して、五月十二日案では、近衛声明、日華基本条約及び日満華三国共同宣言の趣旨を米国政府が了承してこれに基づき、重慶にいる蒋介石に和平勧告をなし、もしこれに応じないときは、アメリカから蒋介石に対する援助を中止するとなっています。また、この制約は別約でもいいし、米国高官の保証でもよいとなっています。すなわち米国は蒋介石政権にたいしその日本と協議することを要求するということになっていました。


 ここで何度も述べてきましたが、支那問題の解決は日本は焦眉の急でした。支那事変そのものの解決と、新秩序の承認です。国際法を遵守する日本は当然のことながら、近衛声明、日華基本条約及び日満華共同宣言を基本としてふたつのことを解決しようとします。

 さらに撤兵の問題は、四月十八日案にも含まれていました。すなわち日支間に成立すべき協定に基づくということでした。五月十二日案も結局は日華基本条約によるので、趣旨において相違はありませんでした。

 日本は戦争回避に向けて、こういう努力をしていたのです。「宣誓供述書」というのは、後に裁判で反対尋問を受けなければならないものです。ですから、うそを書くと著しく不利になります。真実しか書いています。

 次回は、三十をみていきます。

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このページは、宝徳 健が2010年10月14日 04:40に書いたブログ記事です。

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