誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「暗礁に乗り上げた日米交渉」を解説しています。今日は三十を紹介してきます。

 この供述書を読んでいると、戦前の日本が国際問題を処理するにあたって、いかに慎重であったかがわかります。こんな国が侵略国家であるはずがありません。

 すべては、旧社会党党首 土井たか子が国会でした質問に、当時外務省の小和田氏が「日本は東京裁判を受け入れて独立した」と答えたことが原因になっています。それ以来支那は日本に無理難題をふっかけるようになりました。南京大虐殺にしても、毎日新聞の浅海一男と朝日新聞の本田勝一という記者のでっちあげ記事を支那が利用しているだけです。すべては国内から起こっています。外務省幹部は、この東京裁判史観で支那に何もいえなくなってしまいました。

 小和田は今、国際司法裁判所の裁判長です。先日もセルビア問題でとんでもない判決を下しました(いずれ書きます)。皇太子妃の父です。恐ろしい。支那の手先によって、日本の皇室までもが侵されようとしています。

 今もし、竹島問題、尖閣列島問題を日本が国際司法裁判所に提訴したら、小和田によって、敗訴となるでしょう。国民がしっかりと目を覚ます必要があります。

 そのまま抜粋します。

「五月十二日以後の日米交渉の経過につき私の知る所を陳述いたします。五月十二日以後右の日本案を中心として交渉を継続しました。日本においては政府も統帥部もその促進につとめたのでありましたが、次の三点において米側と意見の一致を見るに至らなかったのであります。

 その一つは中国における日本の駐兵問題、その二は中国における通商無差別問題、その三は米国の自衛権行使による参戦と三国条約との関連問題であります。五月三十日に米国から中間提案が提出されなどいたしましたが、この間の経緯は今、省略いたします。結局六月二十一日の米国対案の提出ということに帰着いたしました」

 では、六月二十一日というのがどういう日かということも含めて、次の進展を次回紹介します。

 外交とはしたたかでなければなりません。仙石ごときにどうこうできるもんだいではありません。ましてや「スッカラ菅」では・・・。

 

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このページは、宝徳 健が2010年10月16日 00:03に書いたブログ記事です。

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