誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。。

 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「暗礁に乗り上げた日米交渉」を解説しています。今日は三十一をそのまま抜粋します。

「六月二十一日(米国への対案提出日)といえば、独ソ開戦の前日であります。この頃には独ソ戦の開始は蓋然性より進んで可能性のある事実として世界に認められておりました。われわれはこの事実により米国の態度が一変したものと認定したのであります。この六月二十一日案の内容は証第一〇九二号の通りでありますが、わが方はこれにつき次の四点に注意しました。

 その一つは米国の六月二十一日案は独りわが方の五月十二日修正案にたいし相当かけ離れておつのみならず、四月十八日案に比するも米国側の互譲の態度は認められません。米国は米国の立場を固守し非友誼的であるということが観取せられます。
 
 その二つは三国条約の解釈については、米国が対独戦争に参加した場合の三国同盟条約上のわが方の対独援助義務につき、制限を加えた上に広汎なる拘束を意味する公文の交換を要求してきました。

 その三は、従前の案で南西太平洋地域に関して規定せられておった、通商無差別主義を太平洋の全体に適用することを求めてきたことであります。

 その四は、移民問題の条項であります。四月十八日案にも五月十二日案にも米国ならびに南西太平洋地域に対する日本移民は、他国と平等かつ無差別の原則の下に好意的考慮が与えられるのであろうとの条項がありました。六月二十一日の米提案には、口頭の覚書(オーラル・ステートメント)というものが他と合わせて付いております。その中に日本の有力なる地位にある指導者はナチ独逸ならびにその世界征服の政策を支持する者ありとして、暗に外相の不信任を表現する辞句がありました。これは日本の関係者には内政干渉にあらざるやとの印象を与えました。以上の次第で日米交渉は暗礁に乗り上げたのであります」

 じわじわと日本を対米開戦に引きずり込もうと米国がしています。アメリカは戦争がしたくて、したくて仕方がなかったのです。なぜか。アジア及び欧州で優位的地位を築きたいからです。でも、ルーズベルトは戦争をしないという公約で選挙を勝ち抜きました。だから、日本から仕掛けさせるしかないのです。 アメリカとはこういう国です。いつも。 自由と正義なんでお題目でしかありません。

 次回は対米交渉の最終回です。


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このページは、宝徳 健が2010年10月18日 06:17に書いたブログ記事です。

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