このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。
東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
今日から、南部仏印進駐問題です。この問題は、一度決着がついていますが、おかしくなっていきます。アメリカが気に入りません。あの戦争を誘引したのは、アメリカです。間違いありません。ソ連は、日本が弱くなってくれるとうれしいので、傍観します。まさに兵は詭道なりですね。
※これは株式会社経営戦略室 宝徳 健のブログです。
1940年(昭和十五年)九月に日本はフランスとの相田に自由な立場における交渉を成し遂げ、北部仏印駐兵したことは、以前、解説しました。しばらく平静な状態を保ったのですが、1941年(昭和十六年)に入り、南方の情勢は次第に風雲急をつげます。
日本はフランスとの間に共同防衛の議を進め、1941年(昭和十六年)七月二十一日にはその合意が成立しました。
これに基づき、現地において細則の交渉をし、この交渉も同月二十三日には成立し、一部の軍隊は二十八日に、主力は二十九日に進駐を開始しました。
仏印とは、ベトナム近辺と思ってください。蘭印がインドネシアです。
この進駐は、ドイツのソ連進行と歩調を合わせたのだろうと、アメリカが難癖をつけます。東條英機は、それを否定します。次回、そのわけを説明します。
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