カウンセリングの技法

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 カウンセリングには三段階がありました。

①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする

 リレーションを作るために「受容と支持」が必要でした。問題の核心をつかむために「繰り返し」「明確化」「質問」を勉強しました。適切な処理をするために、情報提供とアドバイスがありました。これがカウンセリング体系です。

 面接中期の留意点を続けます。前回引き続き沈黙です。

 沈黙を乗り越える方法でした。

 カウンセラーにどのような感じを持っているかを話題にしてもよいでしょう。「どうでしょう、私にどんな感じがしているか・・・。たとえば、いい感じとか、とっつきにくいとか・・・」「別にいやというわけじゃないんですけど・・・」「なるほど、私が嫌いではない。だけど?」という具合にです。相手に対する印象を述べることは、それだけ隠蔽がとれるので、リレーションがつきやすいのです。また、感情移転現象を明らかにすることも出来ます。

 以上のような方法が効を奏さず、でも、クライエントが約束時間通りに来るときは、リレーションがあるときです。そのようなときは、文章で考えていることを書いてきてもらって、それをカウンセラーが音読するとよいでしょう。黙読するよりも音読する方が、言いたいことが伝わったと感じます。

 とにかく、コーチングでも、カウンセリングでも、沈黙を必要以上に恐れないことです。むしろ、沈黙を楽しんでください。

 とはいえ、私も、昔は、人と話しているときに、相手が沈黙状態になるといらいらしました。そうなると、言葉を浴びせかけていました。何の効果もありません。自分が言いたいことを言えたというストレスの解消があるだけです。今は、何分間でも沈黙できます。この方が効果的です。

 カウンセリングの極意は「一緒に漂う」ことです。

 えっ?コーチングとカウンセリングはどう違うのかって?先日TAM研修でも学習しました。

 コーチングは、現時点から未来に向かって、成長していくときに使う手法です。相手の中に能力があると信じて、現時点から未来に向かって、「目標」「現状」「具体策」「意志」を確認するものです。

 カウンセリングなどの心理学は、過去の心の傷を、癒しながら、現時点で心をニュートラルにする手法です。

 共にアングロサクソンの手法です。なぜなら彼らは徹底した個人主義(良い面もあります。批判しているのではありません)だからこういう手法が必要になるのです。

 かつての日本人には、こんなものは必要ありませんでした。貧しかった日本は、お互いに少しずつ我慢して、譲り合って生きてきました。これが武士道の互譲互助の精神です。その核となるのが、「家族」だったのです。現代の家族というイメージではありません。例えば、大棚の商家であれば、主人から奉公人まですべてが家族でした。

 しかしながら、戦後、そんなことを理解せず、自分たちのやり方が絶対と思っているアングロサクソンは、「世界で唯一自国を悪とする憲法 日本国憲法」を、家族主義の日本に押し付けてしまいました。個人主義の裏づけがないままに、「両性の合意のみに基づいて」婚姻がなされました。また、意味を誤った個性教育がなされました。

 おかげで、国家ががたがたです。日本に夫婦別姓などを敷いたらとんでもないことになります。今よりも。

 こうやって、精神的な支柱を失った日本人にも、コーチングやカウンセリングが必要になりました。国家の後退、衰退です。二千数百年もかけて、私たちの先輩が築き上げてくれたものを、私たちは戦後のたった65年間で失ってしまいました。もったいないものです。

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このページは、宝徳 健が2010年11月22日 10:17に書いたブログ記事です。

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