このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
前回から、「第三次近衛内閣と日米交渉―九月六日御前会議以前―」です。
前回から、「第三次近衛内閣と日米交渉―九月六日御前会議以前―」です。
宣誓供述書の五十七をそのまま抜粋します。この項はこれで終わりです。次回から、「昭和十六年九月六日の御前会議」を解説します。
アメリカの態度は悲しくなるほど冷たいものです。ここまでやられ、そして、戦後、日本人そのものから侵略戦争などと言われています。当時の人たちはいったい何をすればよかったと言うのでしょうか。日本人は、不埒な日教組の戦後の誤った教育による、「思い込み」をやめ、正しい歴史を知って、早く目覚めましょう。
近衛首相は、この危機を打破するの途はただ一つ。この際日米の首脳者が直接会見し、互いに誠意を披露して、世界の情勢に関する広き政治的観点より国交の回復を図るのほかはないと考えました。そこで、1941年(昭和十六年)八月七日に野村大使に久田を発し、首相と大統領との会見を申出しめまた、同年八月二十八日には近衛首相よりルーズヴエルト大統領に対するメッセージを送りました。米国では趣旨においては異存はないけれども、主要なる事項、ことに三国同盟条約上の義務の解釈ならびにその履行の問題、日本軍の駐留問題、国際通商の無差別問題につきまず合意が成立することが第一であって、この同意が成立するにあらざれば首脳者会見に応ずることを得ずという態度でありました。そこでこの会談は更に暗礁に乗り上げたのであります。
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