このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
十六年 震災からの 年月を あじわふ方の 苦しみいくばく
もう十六年も経つのですね。実際に震災の被害にあった方々の苦しみはいくばくかと思います。亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
私に語る資格はないのかもしれませんが、当時の体験を少し。
前の会社の本社にいました。東京に住んでいました。当時私は、朝7時には会社に行っていました。家から会社までは約1時間。朝、家を出るときに、ニュースで関西で地震があったとの報道がありました。その時は、まったく詳細がわからず「大きな地震でなければいいなあ」と思いながら会社に向かいました。
午前中会社で仕事をしていると、どんどん、地震の被害が伝わってきます。それも、被害の報道が大きくなりながら。これは大変だということで、本社ですぐに対策本部が作られました。会社は業務改革の一環で、テレビ会議システムが入っていたので、主だった経営陣はすぐさま、テレビ会議の部屋に入りました。そして、関西の特に、神戸支店とつなぎっぱなしにしました。
当時、出光興産㈱神戸支店は一階がガソリンスタンドです。支店長は、私が出光興産の中で最も敬愛するTKさん。地震後すぐに、奥様一人を家において、会社へ。すぐに一階のガソリンスタンドの営業を再開して、地域に自動車用エネルギーを供給する旨、指示しました。神戸支店のスタッフも、本社のスタッフも「配管やタンクの状況を調べてからやらないと事故が起こる」と支店長に言いました。こういうのを官僚発想といいます。TK支店長は「いいからすぐにやれ!」と怒鳴りました。
これがリーダーです。
ガソリンスタンドの営業をし始めると、給油する方々で長蛇の列です。すると、地域のガソリンスタンドを経営する人間から、警察にクレームが入りました。「出光は、こういう状況で、一人で儲けようとしている」。日本人も情けなくなったものです。支那人のようですね。受けた警察がTK支店長のところへその旨の電話してきました。するとTK支店長は「わかりました。では、ただいまこの時点をもって、警察車輌への給油をお断りさせていただきます」。警察は大慌てで平謝りです。
さて、こういうときは、エネルギーと物流です。本社では、全国から、集まられるだけの灯油缶を集め、水と、ガスボンベと食料を大量に送りました。また、支援隊を組織し、地元の人に迷惑がかからないよう、自分の食料はじめ必要物資は、自分でかつぎ、西側から神戸に入りました。私は留守部隊になりました。残念でなりませんでした。行った社員からは、地獄のような風景だったと後で聞きました。
ガソリンスタンドに供給するガソリン・軽油・灯油も運ばなければなりません。ところが、交通規制があって、ローリーが神戸に入ることができないのです。テレビ会議システムを使って、業務課の長が、TK支店長にそれを伝えると。「平時じゃない! そんなことはわかっていることだろう! なんとかせい!!!!」と怒鳴りました。 まったく、大企業の官僚病とはこういうことなのでしょうね。
そんなの警察に言ったら一発でした。パトカー先導でローリーで油を運ぶことができました。
出光のそのような行動を見て、どの系列よりも、出光の特約店(出光では販売店といいます)のガソリンスタンドが、次々と営業を再開します。 自らの姿を示す。これが系列指導ですね。これが「かつての出光人」です。
こういうイマージェンシーの際に、人間の器がわかるのでしょう。震災に乗じて儲けようとして人間もいたそうです。そういう人間より、組み本部の前で、炊き出しをして、みんなに配った山口組の方がよほど、器がでかい。
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