このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
「昭和十六年九月六日の御前会議」のを掲載中。宣誓供述書の五十八~六十一がこの項に当たるのですが、六十がかなり長くなっています。数回に分けて書いています。今日は六十 dとeです。
大東亜戦争では、「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍部は将兵へつかまったときは、自決せよと勧めていました。これを朝日新聞を初めとする、不勉強な多くのマスコミは、批判します。日本人もそう思っています。
白人と支那人は、日本人には、考えられないひどい、拷問をします。アメリカ兵は、米西戦争を経て手に入れたフィリピンを制圧するときに、逆らうフィリピン人には、何リットルもの水を飲ませ、おなかをパンパンにした上で、そのおなかの上に、体の大きな米兵が、飛び乗ります。水は、口から噴水のように飛び出て、そして、ほぼ絶命します。
つい最近まで欧州の魔女狩りで使われていた拷問です。
ロシア人と支那人は、目をくりぬいたり、鼻をそいだり、両手を切ったり、くりぬいた後の目に、針金を突き刺したり、およそ、日本人では考えられない拷問をします。南京大虐殺というのは、毎日新聞の浅海一男と朝日新聞の本田勝一のでっち上げ記事を支那が利用しているだけですが、支那が日本人に対して行った通州事件というのがあります。表現できないようなひどい拷問で日本人が殺された事件なのに、政府もマスコミも口を閉ざしているため、国民のほとんどが知りません。その通州事件の惨殺の仕方が、ロシアと支那の殺し方そのものなのです。
日本軍が将兵に、捕まったら死ねと言っていたのは、そんなむごたらしい死に方をさせられるくらいなら、死んだ方がましだということです。真実を知らずに、批判をするのはやめましょう。
自分の国のこのむごたらしさを覆い隠すために、すべて日本の侵略戦争としています。日本は都合よく利用されているだけです。
では、抜粋します。
d 日米交渉の難航と最後の打開策の決定―以上のごとき逼迫状態に伴い、政府としては松岡外務大臣の退陣までも求めて、成立した第三次近衛内閣は極力交渉打開の策を講じましたが、ついに毫(ごう:毛の先ほども。ちっとも)もその効果はなく、更に近衛首相は自体の窮境を打開するために日米首脳者の会談を企てましたが、米側においてこれに応ずる色もないという情況でした。
しかし、日本としては前諸侯の米英蘭の政治的、軍事的、経済的圧迫により日本の生産は極度の脅威を受けるけれども、戦争を避ける一縷の望みを日米交渉に懸け、その成立を図らんとしたのであります。これがため従来の好ましからざる結果にもかんがみ新たなる観点に立ちて交渉の基礎を求めねばならぬと考えたのであります。
e 支那事変解決の困難さの増大―重慶はその後更に米英の緊密なる支援を受けて抗戦を継続し、日本は各種の方法を以て解決を図りましたが、その目的を達成しないために、南方の状態はますます急迫し、日本としては支那の問題との両社の間に苦慮するに至ったのであります。
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