和歌

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 私の和歌はまったくの独学です。私の生きる目標は、この世から去る一秒前まででもいいので、本来の立派な日本人になることです。和歌を詠むのは、その修行です。

 道元の和歌を紹介します。

 水鳥の 行くも帰るも 跡たえて されども路は 忘れざりけり
「水鳥たちは秋は南へ渡り春は北へ帰ってゆく。ゆく途中何も跡を残さないが帰る路を忘れることはない」

 人間も生きる道を忘れないようにしたいものです。論語に「本立ちて道生ず」とあります。今の日本は、国の姿である「国体」という本がぐらぐらです。保守というものが国民の心の中にありません。不埒な日教組の教育、世界で唯一自国を悪と定めた憲法 日本国憲法で国の本がなくなってしまいました。だから、道が生じません。日本人なのに、日本のものより、欧米のものをありがたがります。悲しいことですね。

 さて、拙首です。和歌は、「句」ではなく、「首」です。「句」は俳句です。

 おい大人 かわいい幼き 子供らを 殺すなたたくな 国の宝だ

 悲しい事件が相次ぎますね。私たち大人は、いったい何をしているのでしょうか? 子供は国の宝です。虐待していた親が捕まっても、子供はその親をかばうという行動に出ます。これは、子供の優しい心根から出ていることではなく、人間の心理なのです。苛めに苛め抜かれて、もう、この人にはかなわないと思うと、人間は、その人間に取り入ろうとします。会社でもよくありますし、アメリカにぐちゃぐちゃにやられたフィリピンなんかはこの状態でした。

 大人はまだいい。でも、子供達は、何にも力がありません。

 以前あった事件では、親に炊事場の角に頭をたたきつけられた子供が、死ぬ前に、にこっと笑って、親に助けを求めたというものがありました。

 かわいいかわいい子供を、自分の都合で・・・・。虐待の報道に触れるたびに胸がいたくなります。これも、戦後の誤った教育の産物なのでしょう。教育勅語を復活させましょう。

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このページは、宝徳 健が2011年1月22日 05:41に書いたブログ記事です。

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