このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
「昭和十六年九月六日の御前会議」のを掲載中。宣誓供述書の五十八~六十一がこの項に当たるのですが、六十がかなり長くなっています。数回に分けて書いています。今日は六十 gと六十一です。次回から「太平洋戦争準備」に入ります。
そのまま抜粋します。
朝日新聞を読み始めました。吐きそうになりながら読んでいます。ひどい新聞ですね。天声人語なんて読めたものではありません。社説もひどい。「朝日新聞のうそ」をいずれ少しずつ暴いていきます。ロシアのテロには厳しい記事が。では、何故、支那のことは書かないのか。朝日新聞は、北鮮と同じ、支那の属国ですね。あー、だから「朝(鮮)日(報)新聞」って言われてるんだ。
g 外交と戦略との関係―外交により局面がどうしても打開できぬとなれば、日本は武力を以て軍事的、経済的包囲陣を脱出して国家の生存を図らねばならないのであります。
しかるときは問題は外交より統帥に移るのであります。上陸作戦の都合と戦争物資の状況により武力を以てする包囲陣脱出のためには重大なる時期的制約を受けるのであります。すなわち統帥部の意見によれば上陸の都合は十一月上旬を以て最好期とし、十二月は不利なるもなお不可能にあらず、一月以降は至難、春となればソ連の動向、浮きの関係上包囲陣脱出の時期は著しく遷延することとなる。この間戦争物資は消耗しわが方のたちがは更に困難に立ち至るというにありました。また武力行使のためには統帥部として国家意思決定後最小限一ヶ月なる時期的制限を要したのであります。以上のような各種の情勢が九月六日の国策要綱を必要とした理由であります。
六十一
万一太平洋戦争開戦となる場合の見通しは、世界最大の米英相手の戦争であるから容易に勝算の有り得ないことは当然でした。
そこで日本としては太平洋および印度洋の重要戦略拠点と、日本の生存に必要なる資源の存在する地域に進出して、敵の攻撃を破砕しつつ頑張り抜く以外に方法はないと考えたのであります。
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