このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
昨日から「第三次近衛内閣の総辞職です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。今日は七十一を抜粋します。
朝日新聞のひどさは目も当てられませんね。この新聞の記事を読んで、信じている国民がいるのだろうか?ロシアや支那からお金もらってるんじゃないかなあ、この新聞。
まずは、与野党協議を進めろとしつこく毎日社説に書いています。よく言うよ。安倍政権のときに、あんたがたは、どれだけいじめたのか。安倍政権が続いていれば、日本はかなり変わっていたのに、まったくいらんことばかりします。
次に、昨日の社説。「対ロシア外交 対立断ち切り対話に戻れ」ですって。まるで、北方領土問題は日本の方が悪いように書いています。「必要なのは、建設的な対話の回路を回復することである」ですって。そうしてしまっているのは、ロシアだろうが。どこの国の新聞や。
それと絶対に許せない表現があります。北方四島を「不法占拠」ではなく、「実効支配」と書いています。情けない。日教組の研修会で、ある教師が「北方領土はどこの国の領土かわからなくなった」と言いました。こんな教師辞めさせてしまえ。日本の国は素晴らしいと言った田母神さんを辞めさせて、こんな教師はのうのうと雇っている。おかしな国です。
朝日のこの表現もまさにそうですね。こんな新聞社や教師を生きながらえさせるために、二百六十万人の英霊は先の大戦で命を国に捧げたのではありません。国家を家族を、「自分が死ねば守れるんだ」と信じて、命を捧げました。それを、今の私たちは、侵略戦争といいます。このような新聞や教師をのさばらせます。真実を知れば知るほど悲しくなります。
七十一
先に述べたるがごとく、十月中旬を目途として日米交渉の最後の打開をなし、その時期までにわが要求貫徹の目途なき場合は、ただちに対米英蘭戦争を決意するとの国家意思が決定せられておりました。
右「第三次近衛内閣総辞職」中第二項の終わりに、近衛公はこの1941年(昭和十六年)九月六日の御前会議を必要とした理由につき次のごとく述べております。「いわく、そこで八月二十八日ルーズベルト大統領にメッセージを送り会談を申し込んだのであるが、それにたいしルーズべルト大統領は喜んで応ずるが、その前提として重要案件だけは大体の話合をつけておきたいということだったので、その対策の根本を決定するため九月六日の御前会議が開かれたのであった」と。すなわちルーズベルト大統領との会談の前提条件の決定をこの御前会議を必要とした唯一の理由となしております。もちろんこのこともこの会議を必要とした主な理由の一つには相違ありませんが、これのみを御前会議開催の理由とするのは誤りであります。本来この御前会議はその議題の内容によっても明白なるごとく、外交の見通しと牽連(けんれん)してわが国の南方施策遂行に関する方途を決定するにありました。しかもこれは統帥部の応急的作戦準備の必要上その要請に基づくものであります。
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