和歌

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 道元の和歌を紹介します。

 尋ね入る 深山(みやま)の奥の 里ぞもと わがすみなれし 都なりける
 道元の後援者の知行が越前にありました。ここに永平寺が建てられます。乱れに乱れていた仏教界です。深山幽谷の修養を志していた道元は、京都に未練をとどめることなく、北陸の山奥を目指しました。永平寺が北陸にある所以です。その心が詠まれた歌です。 

 道元は、仏道を学ぼうとする人間が第一に心にすべきは、自分自身に「我」という実体がるとする誤った考えを捨てることであると説きます。わが身に執着しているかぎり、幾たび生まれ変わっても悟りは開くことができないと。身体そのものは、髪も皮膚もすべてがもともと父母の二滴であり、その身体は呼吸が一息とまったら、たちまち骸(むくろ)となり、ついに土と化してしまいます。そのような身体であるにもかかわらず、なぜわが身に執着しようとするのかと。

 孝経にもありますね。

身體髮膚、受父母、敢毀傷、孝至始也。(身体髪膚はっぷ)、これを父母に受く。あえ)て毀傷きしょう)せざるは、孝の始めなり。 )

 つまり、髪の毛も皮膚も、みんな、父母からもらったものだから、これを傷つけないことが孝行の始まりである。

 あー、子供の頃からこれを知っていたら、乱暴者の青春を送らなくてすんだのに~。

 では、拙首です。

 いにしへを 今に伝へる 言の葉が 色褪せずして 生き方示す

 子供の頃から古典を学ぶ大切さを今になって知り始めています。私が自分の天命を知るのはまだまだ先になりそうです。

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このページは、宝徳 健が2011年2月12日 13:31に書いたブログ記事です。

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