このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
「第三次近衛内閣の総辞職」です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。前回から七十三を抜粋します。七十三はとても長く、かつ、真髄に触れています。何回かに分けます。
この記事、だいぶ飽きてきたって、言われた・・・。でも、ここではやめられないから、仕方がないじゃん。ということで、今回から少し趣向を変えます。前段の、私のいつもの、だらだらした、見解は辞めて、それぞれの宣誓供述書の内容のところで、みなさんが知らないような歴史的真実を解説するようにします。そうそう、なんでも読者に飽きられないようにしないとね。では、七十三の続きを抜粋しながら、解説をします。絶対に飽きさせない!!!
七十三 つづき(抜粋内容)
此の会合の目的は、日米交渉の成否の見透、並びに和戦の決定についての懇談でありました。長時間に亙(わた)って議論されましたが、詳細は今記憶して居りませぬが、各自の主張の要点は次の如くでありました。近衛首相並びに豊田外相の主張―日本の今日までの主張を一歩も譲らぬというのであったならば、日米交渉成立の見込みはない。しかし、交渉の難点は撤兵問題である。それであるから、撤兵問題に於いて、日本が譲歩するならば交渉設立の見込みはある。日本としては撤兵問題に際し、名を捨て実をとるということが出来る。即ち一応は「アメリカ」の要求に従って、前面撤兵をすることにし、そして中国との交渉に依り新たなる問題として駐兵することも可能であるというのであります。之は実際に於いては、明らかに九月六日の御前会議の決定の変更でありますが、両大臣は特に決定変更とまでは言われなかったのでした。私の主張―今日までの日米交渉の経過より見、殊に日本の九月六日の御前会議の決定に基づく対米交渉に対し、米国の十月二日の回答並びに、首脳者会談の拒否の態度を見ても、日米交渉の成功の目途はないのではないか。これ以上の継続は徒に米側の遷延策に乗ぜられるのみである。もし、日本が対米開戦をせねばならぬという場合に立到らば、此の遷延策に乗ずれば作戦を著しく制約さられる危険に陥る。それであるから今や九月六日の決議に予見せられた決定を為すべき時期に到着したものと思われる。 つづく。
【解説】
前回の解説になります。近衛内閣総辞職に先立つこと四日前の昭和十六年(1941年)十月十二日に五相会議(首相、外相、企画院総裁、海相、陸相)が行われています。この会議に企画院総裁が出ています。戦争となった場合、必要な資源や材料がどれくらいあるかということを握っているのが企画院です。かなり、せっぱつまっていたのですね。
そして、この会議の前に、東條英機が知らないことがありました。前日に海軍の岡軍務局長が近衛首相を訪れ「軍令部(陸軍の参謀本部にあたる海軍の部署)は別として、海軍首脳部は日米戦争はやりたくないのだけれども、対本営決定に賛成した手前、海軍からはやれないとは言えないから、海相から総理一任としということを持ち出すから、総理から外交交渉でいくと裁断してもらいたい」と申し出たのでした。
陸相である、東條英機はこのことをまったく知りませんでした。陸軍にしてみれば、海軍は戦争をしたくない、または、できないとはっきり言ってくれれば話は別だったという恨みが東條英機の言葉からうかがいしれます。日本は本当の意味での統帥がなかったのですね。陸海軍の両方をよく知り、統率する人が、制度上ひとりもいなかったのです。これは悲しい事実です。
どうだ、ちょっと流れ変わった?
解説 いい感じです。
おー、IKさん、久しぶりのコメント感謝します。解説を充実させて飽きさせまへんでー。