「第三次近衛内閣の総辞職」です。この部分はとても長くなっています。七十~七十七までです。七十三を抜粋します。七十三はとても長く、かつ、真髄に触れています。何回かに分ています。
七十三(つづき、抜粋)
支那における撤兵問題は日米交渉の初めよりわが国は全面撤退の原則の承認および駐兵については日華基本条約によることによって話が進められており、外相の採らんとする態度もこれに異ならぬ。しかし米国の狙いは全然以上に相違している。交渉のすすむに従い、その目的が無条件撤兵であるということが明らかとなって来た。換言すれば名実ともに即時かつ完全撤兵を要求しているのである。したがって、両大臣のいわるるごとき名を捨てて実を採るという案によって妥協がでいるとは考えられぬ。しからば仮に米国の要求を鵜呑みにし、駐兵を抛棄(ほうき)し、完全撤兵すればいかなることになるか。日本は四年有余にわたりなしたる支那事変を通して努力と犠牲とは空となるのみならず、日本が米国の強圧により中国より無条件退却するとなれば、中国人の侮日思想はますます増長するであろう。共産党の徹底抗日と相待ちて日華関係はますます悪化するであろう。その結果、大二第三の支那事変を繰り返すや必ずである。日本のこの威信の失墜は、満州にも、朝鮮にも及ぼう。なお日米交渉の難点は駐兵、撤兵に限らずかの米国四原則の承認や三国条約の解釈、通商無差別問題等幾多そこに難関がある。これらの点よりいうも、日米妥協はもはや困難なりと思う。しかし、外相において成功の見込みありとの確信あらば更に一考しよう。また、和戦の決定は統帥に重大関係がある。したがって総理だけの決定に一任する訳には行かぬ。(つづく)
【解説】
アメリカの要求を聞いてしまえば、日本は、支那にも満州にも朝鮮にもなめられるだろうという東條英機の主張です。こんな理不尽なアメリカの言うことを聞くことはないとも。特に、当時は、モスクワコミンテルンが支援する支那の共産党が、なんとか戦争を泥抜かしようと暗躍します。近衛首相の側近にもコミンテルンはスパイを送り込み、なんとか戦争になるように導こうとします。その日本における総責任者が、あの有名なゾルゲです。
このあたりのやりとりが、東京裁判で東條英機が一番責任を問われたところです。
現代に置き換えてみましょう。イラク戦争が終わった後、アメリカはイラクからやすやすと撤兵したでしょうか?自分たちがイラクに作った政権が崩壊するのを黙って見られたのでしょうか?していないですよね。大東亜戦争のときにアメリカはそれをやれといったのです。
もちろん、アメリカみたいに、日本は支那を崩壊させていません。汪兆銘が日本に共鳴して満州国を建てました。また、蒋介石と汪兆銘は戦ったこともありますが、彼ら二人だと、話合がつく可能性はあったのです。そういう状況でも、日本が撤退したら、そうならなかった可能性が高いのです。
加えて、支那共産党です。コミンテルンが率いています。アメリカは支那の事情に詳しくなかったのですね。それよりもっと、ソ連の事情に。
話は時代をさかのぼります。おっと、長くなりますね。明日書きます。日本の現代史は、ずっとソ連とコミンテルンに翻弄されたものでした。ここを正確に知らないと日本の現代史は語れません。
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