弊社の月刊誌、「士魂商才」の新しい読者の方々がとても増えてきました。ありがたいことです。でも、新しい読者の方は、バックナンバーの記事が読めません。だから、このブログで掲載していきます。まずは、「出光佐三語録」。少しずつ紹介します。「出光佐三語録 PHP研究所」です。今はもう絶版だと思います。士魂商才第三十一号 平成二十二年四月号掲載分です。
あっ、そうだ。ネットで「経営戦略室」と検索するとなんか、この名前の会社が数社出てきますね。私以外にもこんな名前をつける人がいるのですね。
でも、社歴はわが社が一番古い。類似会社にご注意ください。
序 出光イズム
―出光は、人間尊重の道場である
出光は、人間尊重の道場である。
出光は事業会社でありますが、組織や規則等に制約されて、人が働かされているたぐいの大会社とは違っているのであります。出光は創業以来『人間尊重』を社是としえ、お互いが練磨して来た道場であります。諸君はこの人間尊重という一つの道場に入ったのであります。(昭和二十八年四月、新入社員の入社式での佐三の訓示。『我が六十年間』第一巻より)
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出光佐三は、異色の実業家である。異色の経営者である。
その説くところは、いつも形而上的な観念論であって、金を儲けるための商売のコツといった、実利的な側面は全くない。
むろん、実務の訓練は、きびしかっただろう。けれどもそれが、そのまま『金儲け』の方法論につらなることはなかった。
佐三の存命中は常にその右腕であり続け、いまも出光興産の相談役をしている石田正實が、いみじくもいっている。
「この人は、私とは四十年を越える長い付き合いであった。にもかかわらず、私にはただの一度も、『金を儲けよ』とはいわれなかった」
石田は、昭和五十六年の三月七日に、佐三が満九十五歳の長寿の末に長逝した時に、その枕辺にいた身内の一人だが、亡き主人の横顔に涙しながら、しみじみとした述懐であった。
『金を儲けよ』とは、この上なくナマで、率直で、具体そのものの表現だが、要するに、うまく立ち回れとか、うまく時勢に乗っていけとかいった種類の訓示なのであろう。それをこの人は、ただの一度もいわなかったというのである。
それでは、何をいったか?「人を、愛せよ」といった。「人間を、尊重せよ」といった。『人』とは自分の社員でもあり、また、お得意さんでもあり、さらに広くは国民全体でもあった。また、「日本人として、誇りの持てる経営をせよ」といった。そしてくり返し「働け」といった。例えば、次のような言葉である。
愛が、人を育てる。
人を育てる根本は愛である。愛とは如何なる場合にも、自分を無私にして、相手の立場を考えるということである。
われわれ出光は、この愛を口先だけでなく、ひたすら不言実行してきたがために、今日の人を中心とした出光の形が出来上がった。
愛によって育った人は資本となり、奴隷解放の出光六十二年の歴史をつくった。 (昭和四十八年九月の言葉。『出光オイル・ダイジェスト』四十八年十月号より)
尊重すべき人間は、愛の手で育つ。
五十年前、私が門司で仕事を始めたときに、優秀なる学校卒業生は来ないから、家庭の事情で上級の学校へ進学できないけれども、人物も良く成績も良い子供を採用した。学問より人間を尊重したのである。はじめは、小学校を出たばかりの子供を連れてお母さんが会社に来られた。どうかこの子を頼みますと言われたときに、私はそのお母さんに代わって、この子を育てましょうと思って、引き受けた。その母の愛を受け継いだ私は、これを実行に移した。これが家庭温情主義と言われているのである。
育てようという子供は辞めさせない。これが首を切らないということになった。もちろん、家庭に出勤簿なんかありえない。労働組合も要らない。子供が妻帯すれば、家賃も嫁の生活費も孫の手当もいることになるから、給料なんかも、しぜん生活給となる。お母さんはどこまでもお母さんであって、子供の喜怒哀楽に対してもお母さんらしくあるようにしているだけのことである。これを要するに、愛情によって人は育つという一言に尽きると思うのである。(昭和三十六年五月、四回目の海外旅行より帰りて在京社員に。『我が六十年間』第二巻より)
少数精鋭主義を唱えて、出来の悪いものを首切るのは、真の少数精鋭ではなく、利己主義である。
家族肉親の愛は最高のものです。学問や理論や哲学で説明できません。あらゆるものを超越した人間の基本的なあり方です。そういう愛情を基礎にしたものが家族温情主義です。その家族温情主義に育てられれば、人間として素直で真面目な人ができる。そういう人がお互いに信頼しあって全体をつくり、そして鍛錬されれば、これは人間として最高のあり方です。それが少数精鋭となって最大の力を発揮するわけです。
少数精鋭主義を唱えて、出来の悪いものを首切るのは、真の少数精鋭でなくて利己主義です。十人の子供がいれば、一人や二人は出来の悪いのがおります。それをひっかかえていくのが家族温情主義です。(昭和四十四年五月、『働く人の資本主義』より)
なにもいわないでいいから、相手の立場になって考えてやる、というのが愛である。
愛とはなにか?ただ頭をなでてやることか?そうじゃありません。なにもいわないでいいから、相手の立場になって考えてやる、というのが愛です。
とりわけ、母親の子に対する愛はそういうものです。もっとも、この母親の愛だけで育った子供は純情ではあるが、実行力では不十分です。だから、今度は父の愛によって鍛錬し、実行力を養い、ほんとうに人間の尊重をうちたてていけるような人にしていかなければならないのです。(昭和四十年五月徳山での講演。『我が六十年間』第二巻より)
新入社員はあたらしい子供である。
出光では、入社した社員は子供が生まれたという心持ちになって、これを愛の手を伸ばして育てることになっている。親と子供の関係というものは、これは理屈や利害の問題じゃない。無条件に子供の将来を考えるということだ。親子の間が親愛の情をもって結ばれるのは、世界中の人も同じだが、他人に対しても子供が生まれたという感じをもちうるのは、日本人の特徴じゃないかと思う。(昭和四十一年六月『マルクスが日本に生れていたら』より)
尊重すべき人間を養成せよ。
人間尊重主義は、まず尊重すべき人間を養成せねばならぬ。これは難事中の難事であって、また大難事であるが故に、すべての基礎となるのであります。(昭和十五年九月「紀元二千六百年を迎えて」の講義。『我が六十年間』第一巻より)
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「働け」とはいっても、その時の出光の事業の中で、その職場で力を惜しまず働け―という意味ではなかった。例えば戦中の或る時期には、出光のよってもって立っているものが石油業だったにもかかわらず、「石油のことは、些事である」といった。また、敗戦直後に何の仕事もなかった時に、やっと手に入れたのがラジオ事業だったのに、「ラジオのことは、些事にすぎない」といった。
それでは「些事」でなく、真の働く目的は何だったのだろうか?またまた佐三の言葉に聞こう。
国家社会に示唆を与える。
純朴なる青年学生として人間の尊重を信じて「黄金の奴隷たるなかれ」と叫んだ私は、これを実行に移して、資本主義全盛の明治、大正時代においては、人材の養成を第一義とし、次いで戦時統制時代においては、法規、機構、組織の奴隷たることより免れ、占領政策下においては権力の奴隷たることより免れ、独立再建の現代においては数の奴隷たることから免れえた。また、あらゆる主義にとらわれず、資本主義、社会主義、共産主義の長をとり短を捨て、あらゆる主義を超越しえた。かくて五十年間、人間尊重の実体をあらわして「われわれは人間の真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える」との信念に生き、石油業はその手段にすぎずと考えうるようになったのである。(昭和三十六年五月、在京社員への訓示。『我が六十年間』第二巻より。傍点は筆者)
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まるで、哲人の言葉である。とても『実業人』の言葉とは思えない。けれども出光佐三は、生涯そんな言葉ばかり吐き続けた。そして、事業経営の上でも、稀にしか見られないほどの大きな成功を収めている。
商売を語らずして、いや、むしろ、商売なるものに逆行するようなことを語って、しかも商売でも成功を収める。その間の秘密は何だったのだろうか?以下、出光の言葉を吟味しながらその生涯を追って、いささか秘密の解明につとめてみたい。
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