弊社の月刊誌、「士魂商才」の新しい読者の方々がとても増えてきました。そこでバックナンバーを読まれていない方のために、昨日から、いろいろな記事の過去の物を掲載し始めています。まずは、「出光佐三語録」。少しずつ紹介します。「出光佐三語録 PHP研究所」です。今はもう絶版だと思います。士魂商才第三十三号 平成二十二年六月号の記事です。第一章の後半の部分です。
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シリーズで、「ペルシャ湾上の日章丸」を掲載していきます。掲載する都度お知らせします。今回は、士魂商才第三十一号 平成二十二年四月号に掲載した記事をアップしました。
一章 独立
商人は独立自存だ
さて、佐三は、神戸高商を卒業する。就職であった。
佐三は最初は外交官志望だったのだが、父親から反対された。
「外交官といったって、お上の都合一つで、電話一本で、自分の意志とは何の関係もなく、どこへ飛ばされるか判らんではないか。そんな不安定な仕事が何になる。それよりは、商人になれ。小なりと雖も、商人は独立者だ。独立自存だ。自分の思想や好みや、つまり信念が貫けるではないか」
なるほどと思ったので、父の意見に従って商人の道を選んだ。
そして、どうせ商人になるのなら、大会社に入って一小局部ばかり担当させられるよりは、それこそ小さくてもいいから、全体を知り得る立場にいたいと考えて、『酒井商会』という、神戸兵庫区鍛冶屋町の、石油・機械油と小麦を扱う商店に入ったのだった。店員数名という、文字通りのちっぽけな商店であった。
酒井商会に入ってからも、日田重太郎との交友は続いていた。出光が家庭教師をつとめた長男は、無事中学生になっていた。
明治四十四年の、三月の或る日曜日であった。日田は佐三を、六甲への散歩に誘った。佐三も休日だったので、誘いに応じた。
春の日は、うららであった。日田は佐三より九つしか年長ではなかったが、感じとしてじゃずっと年上のようであった。年に似合わず禅味を帯びた人物で、茶の湯や古美術品を愛し、社寺を歴訪することなどに趣味があった。
日田は淡路の名家の出で、同じ淡路の名家である日田家の妹娘と養子縁組したもので、その間、複雑な事情があるらしく、故郷に住むことを嫌い、こうして神戸、京都と他郷へ出ているのであった。
その日は天気がよかったのに、出光は浮かぬ顔をしていた。というのは、これより先、佐三は店の用事で台湾へ出張し、見事な成果をあげての帰り道、門下で下船して、赤間の我が家へ帰ってみたのだった。
そこに、我が家はなかった。驚いてたずね歩いて、我が家が藍玉業の不振で没落し、散り散りになったことを、初めて知ったのだった。
母と末弟の計助が、戸畑に引っ込んでいるというのを聞き出して、すぐにたずねて行った。
「おう、よく来た。立派になって・・・・・・」
母は、履物と日用雑貨の、店とはいえないほどの小さな店を営んでいた。この母が、父の藍玉業とは別に細々とした呉服の商いをして、その収入と自分の持ち物を売ることで、佐三を高等商業に行かせてくれたのだった。その程度の内情は、佐三とて知っていた。母は涙を流して、佐三の成人ぶりを喜んでくれた。
泊まっていけと停めるのを振り切って、佐三は家を出たのだった。計助には欲しがっていたゴムマリを一個買い与えた。計助は、立派に洋服を着て、帽子をかぶり靴をはいた兄の姿に、この上のほこりはないといった喜びようであった。
―そんなにして、帰って来た神戸であった。
(何とか、一日も早く独立して・・・・・・。両親を、引き取らなければならない!)
佐三の胸は、そういう思いで焦げるようであった。
(兄妹を、散り散りにしておくわけにはいかない。少なくとも、まだ小学生の計助だけでも・・・・・・)
苦悩の思いは、自然に顔に出てしまう。何も物語らなかったけれど、或るお寺で小休止した時に、日田から図星をさされてしまった。
「君は、心が重いのだねえ。お父さん、お母さんのことが、心がかりでならないんだねえ」
日田は、いった。
出光商会をつくった動機は、親に孝行し兄弟を救おうという日本人の道徳からでたことである。
私は丁稚奉公をしたのですが、ここで非常に恵まれたことがある。丁稚奉公を二年くらいしているときに、私の実家が親類に迷惑をかけられて破産したんです。それで、母が小さい履物の小売店をやっておるのを見て、びっくりして、私はその場でいまの勤めをやめて、親兄弟のために働かなければならんと決心した。これが出光商会をつくった動機なんです。
これは親に孝行し、兄弟を救おうおという日本人の道徳からでたことです。その場で私は決心した。しかしながら私には金がなかった。そこに淡路の日田重太郎という人がいた。私が二十五、日田さんは三十四の年でした。この方は淡路の地主さんでしたが、非常に質素な方で、神戸にきておられて、私のあり方を見て、京都に持っている別荘を売って、六千円という金をお前にやるのだといわれた。
当時の六千円はいまと違って大した金ですよ。「これはお前にやるのだ。返すには及ばない。利子もいらない。おれは事業に経験がないから興味もない。事業の報告もいらない。ただ、初志を貫いて終始一貫せよ。そして親に孝行して兄弟仲良くせよ。これがおれの希望だ。金はやるのだ」といわれた。
これは日本のあり方です。ところがその上、さらに「このことを人に話すなよ」とつけ加えられた。普通なら恩をきせるはずなのに、人にはいってはいけないといわれた。これは、道徳のうちでも最高の陰徳のあり方です。人に恩をきせない陰徳のあり方を日田翁に教わったということは、私は日本人としてどこまで恵まれているのかということです。(『我が六十年間』第三巻より)
*
佐三は黙って、うつむいていた。
「君は・・・・・・そのために独立したいんだね。けれども資金がなくて・・・・・・そのために、悩んでいるんだね」
日田のいうことは、ますます図星であった。佐三は相変わらず、黙ってうつむいていた。
「よろしい、独立したまえ!そのための資金は、僕があげるよ」
「ええッ!?」
と、佐三は飛び上がるほど驚いた。
「幸い僕はいま、京都にも一軒、別荘を持っている。それは、要らない家だ。要らないから、売ろうと考えている。売れば、八千円ほどにはなるそうだ。僕はいま、さし当たっては二千円ほどしか要らないから、残りの六千円ほどを、君に上げようじゃないか」
「そ、そんなッ!」
と佐三は絶句した。明治四十四年の『六千円』である。仮に貨幣価値を低く抑えて一万倍と考えても、現在の金では六千万円にはなる。
「そ、そんな大金を、わけもなくもらうわけには参りません!」
「いや、わけはあるよ」
日田は、恥ずかしそうに笑った。
「君は、見どころのある青年だ。僕は君に、君のやりたい仕事をさせて上げたい。君は、そのために金が要る。けれども、ない。僕は、ある。けれども要らない。要らない金を、要る人に上げようというのだ。これほど立派な『わけ』はないよ」
「し、しかし・・・・・・」
「しかし、も何もないよ。君は、遠慮しているんだろう。遠慮することはない。黙ってもらって有意義に使ってくれたまえ」
「・・・・・・」
「これは、君に『上げる』のだから、返す必要はない。したがってむろん、利子も要らない。僕は事業のことは判らないから、事業報告も要らない。ただ、君が一生懸命働いている・・・・・・それを僕は、黙って見ていればいいんだ。いや、君が初志を貫いて事業をなし遂げ、一家仲良く暮らしていくのを、見ていたいんだ。だから、これは黙ってもらってくれたまえ」
「・・・・・・」
佐三は頭がしびれて、暫くは何も考えられない状態であった。
「暫く・・・・・・考えましてから」
やっと答えた。
「うん。そうしてくれたまえ。しかし、考えるのはいいけれど、他人には話さないでくれ給え。ひとに話なんかされると・・・・・・何だか恩きせがましくなって、僕の気持ちにそぐわないんだよ」
「・・・・・・はい」
はい、とは答えたけれど、何しろ問題が大きすぎだ。一人きりの思案には剰った。
「もらうべきか。もらうべからざるか?どうしようか?」
佐三は、福岡商業以来の親友で、そのころは日本製粉の神戸支店にいた八尋俊介に相談した。
八尋も驚き、かつあきれた。が、
「折角のご好意じゃないか。もらうことにしたら?」
と智恵づけた。それで佐三はやっと踏ん切りをつけて、この破天荒な、『六千円』という頂戴ものを、いただくことにした。
日田重太郎から、六千円をもらおうと決めた時に、出光佐三の心にまず浮かんだのは、
『石油―』
ということであった。
(石油業をやろう!)
それはもう、先駆的な決定のようであった。疑念の浮かぶ余地がなかった。
神戸高商の卒業論文に書いた『石油』である。そして、酒井商会でこの二年、手を汚し続けてきた石油である。石油業のほかの、他の職種を選ぼうという気持ちは、佐三の心に、てんからなかった。
次は、
『門司―』
という地名であった。北九州の突端にある、門司という『新興都市』を、開業の地にしようという決心であった。門司は西に開いている日本の表玄関で、朝鮮、満州はすぐ目の前であった。これもまた、先駆的な決定のように、佐三の心の中で動かぬ地位を占めた。
決心すると同時に店を飛び出して、佐三は電車に飛び乗って大阪に向かった。北浜の、日本石油の大阪支店である。
支店に着くとすぐに、酒井商会を担当している谷川湊という社員に面会を申し込んだ。
「谷川さん、僕は独立することに決めました。どうにか資金も出来ましたので・・・・・・」
会うとすぐ、本論を切り出した。
「ほほう、それはおめでとう。ところで、どこで何の商売をするのかね?」
「はい。門司で開店―」
「なに、門司ッ!?」
と、谷川は、皆まで聞かずに一膝乗り出した。
「それは奇縁だ。実は僕も、今度転勤して、下関の店長を勤めることに決まったんだよ。門司といえば下関の管内だ」
「ほほう、それは有難い。実は僕も、日本石油さんにお願いして、石油の商売をしようと考えてるんですよ。あなたが店長さんとは、これは有難いですよ」
「いや、しかし君、そう簡単には行かんぞ。灯油の代理店なんか、下関の管内でも、もうとっくに決まってしまっているわけだ。いまから割り込もうたって、君―」
「いいえ、灯油でなくていいんです。灯油が無理なことは、僕だって十分承知していますよ」
「灯油でなくていいって・・・・・・では何の特約店をやるつもりだね?」
「はい。まず機械油でお願いしてみようかと思っています。機械油でしたら、それほど志望者も多くはなかろうと・・・・・・」
「ほほう、なるほど―」
谷川は考え込んだ。
「それは一案だが・・・・・・しかし君、それはやめとく方がよくはないかね。なるほど機械油なら、特約店の権利は取れると思うけど・・・・・・、それだけに、営業が困難だぞ。時代はもう、電気モーターの時代にはいっているよ。蒸気機関時代の機械は、いまやすべて斜陽だよ。蒸気機関の時代こそ、機械にさすために機械油は大量に要ったが、次第にその必要性は減っている。いまさら機械油専門でいきといったって・・・・・・」
現在の言葉では『潤滑油』である。潤滑油専門でいくというのは、いくら何でも冒険的でありすぎよう。
「はい、それは判っていますが・・・・・・ともかく、石油の一端に取り付くためです」
「よほどの決心を持ってかかるというのなら、別だよ。ともかく僕は、君のためなら出来る限りの応援はするがねえ」
「お願いします」
それでほぼ、決まりであった。
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