このシリーズは右のカテゴリー「短編小説」に掲載されています。
ちょっと仕事の骨やすめというか、箸やすめです。
みなさん、学校時代歴史は好きでしたか? 私は大嫌いでした。 暗記ばかりで全然面白くないからです。それと、きっとうその歴史を教えられていたから、当然のことながら人間の脳に受け入れられないのでしょうね。うそは受け入れられない。歴史はほとんど本を読んで覚えたし好きになりました。
さて、時々、みなさんを歴史好きにしてあげましょう。今日書く短編小説は何回かに分けて書きます。
ちょっと仕事の骨やすめというか、箸やすめです。
みなさん、学校時代歴史は好きでしたか? 私は大嫌いでした。 暗記ばかりで全然面白くないからです。それと、きっとうその歴史を教えられていたから、当然のことながら人間の脳に受け入れられないのでしょうね。うそは受け入れられない。歴史はほとんど本を読んで覚えたし好きになりました。
さて、時々、みなさんを歴史好きにしてあげましょう。今日書く短編小説は何回かに分けて書きます。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん
都から遠く離れた讃岐の地で、一人の僧が歌を詠んだ。そしてため息をつきながらつぶやいた。
「いろいろ怨みはおありでしょう。 一度は帝の玉座にお座りになったあなた様なのですから。しかし、亡くなられた今となっては、それが何になるのでしょうか。成仏なされませ。成仏なされませ・・・」
僧の名前は西行。怨霊となって皇室に災いを振りまこうとする、今は亡き 崇徳上皇の霊を慰めにきたのだった。
西行は、ふたたびつぶやいた。
「まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
白河上皇はもちろん、もうこの世におわさない。
第七十二代白河天皇は、最愛の中宮(皇后)であった、藤原賢子(かたこ)を亡くされて、大いに悲しむようになった。その後、しばらく夜伽をする女御はいなかった。
宮中にあがる女御は、みなそれなりの格式の家の出身である。特に天皇のお手がつく女御は、みなそうである。ところが、白河天皇は、あるきっかけで、身分の低い女性を愛された。祇園女御という。身分が低いままでは、宮中に迎え入れることができない。白河天皇は、大納言藤原公実(きんざね)の手元において養わせた。そして、やがて白河天皇のお手がついた。名を藤原璋子(たまこ)という。後の待賢門院(たいけんもんいん)である。
「おうおう、璋子や。初いやつじゃ。近こう寄れ。」
白河天皇は、毎夜、璋子を離さなかった。
「さて、璋子をどうしたものか。いつまでも手元においておきたいしのう。そうじゃ」
天皇の位を譲った、白河上皇は、こともあろうに、璋子を自分の孫の第七十四代鳥羽天皇の中宮としてしまった。
鳥羽天皇の中宮となってからも、白河上皇と璋子の情事は続いた。そして、子が生れた。もちろん、父親は、白河上皇である。
「ほっほっほ~、これで璋子の子供は後々、玉座に座れるのう」
この白河上皇の閨房の乱れが、後に、貴族政治が終わりを告げ、武家の政治が台頭し、長い長い間、明治の御代まで親政を待たなければならない事件へのプロローグとなるのであった。(つづく)
都から遠く離れた讃岐の地で、一人の僧が歌を詠んだ。そしてため息をつきながらつぶやいた。
「いろいろ怨みはおありでしょう。 一度は帝の玉座にお座りになったあなた様なのですから。しかし、亡くなられた今となっては、それが何になるのでしょうか。成仏なされませ。成仏なされませ・・・」
僧の名前は西行。怨霊となって皇室に災いを振りまこうとする、今は亡き 崇徳上皇の霊を慰めにきたのだった。
西行は、ふたたびつぶやいた。
「まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
白河上皇はもちろん、もうこの世におわさない。
第七十二代白河天皇は、最愛の中宮(皇后)であった、藤原賢子(かたこ)を亡くされて、大いに悲しむようになった。その後、しばらく夜伽をする女御はいなかった。
宮中にあがる女御は、みなそれなりの格式の家の出身である。特に天皇のお手がつく女御は、みなそうである。ところが、白河天皇は、あるきっかけで、身分の低い女性を愛された。祇園女御という。身分が低いままでは、宮中に迎え入れることができない。白河天皇は、大納言藤原公実(きんざね)の手元において養わせた。そして、やがて白河天皇のお手がついた。名を藤原璋子(たまこ)という。後の待賢門院(たいけんもんいん)である。
「おうおう、璋子や。初いやつじゃ。近こう寄れ。」
白河天皇は、毎夜、璋子を離さなかった。
「さて、璋子をどうしたものか。いつまでも手元においておきたいしのう。そうじゃ」
天皇の位を譲った、白河上皇は、こともあろうに、璋子を自分の孫の第七十四代鳥羽天皇の中宮としてしまった。
鳥羽天皇の中宮となってからも、白河上皇と璋子の情事は続いた。そして、子が生れた。もちろん、父親は、白河上皇である。
「ほっほっほ~、これで璋子の子供は後々、玉座に座れるのう」
この白河上皇の閨房の乱れが、後に、貴族政治が終わりを告げ、武家の政治が台頭し、長い長い間、明治の御代まで親政を待たなければならない事件へのプロローグとなるのであった。(つづく)
コメントする