和歌

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 源義家(みなもとのよしいえ)の和歌を紹介します。これだけの武将が和歌も名手ですね。

 吹く風を なこその関と 思へども 道にせに散る 山桜花

 源義家を知らない日本人がいます。知らない人が悪いのではなく、歴史教育をないがしろにしてきた戦後教育の責任です。戦前なら5歳の子供でも知っていました。

 源頼義の長男です。岩清水八幡宮で元服式を挙げたので「八幡太郎義家(はちんまんたろうよしいえ)」と呼ばれています。ちなみに次男の源義綱(よしつな)は、元服式を京都の加茂神社で行ったので「加茂二郎義綱(かもじろうよしつな)」。三男は、園城寺(おんじょうじ)新羅明神で元服式を行ったので、「新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)」です。かっこいいなあ。僕もこういう名前ほしいなあ。さしずめ、宗像大社を崇拝していますから「宗像太郎健(むなかたたろうたけし)」かなあ。なんか、あまり、ピリッときませんね(笑)。まあ、どうでもいいや。

 八幡太郎義家は、大変な弓の名手でした。頼義・義家が奥州平定で戦うのが「前九年の役」です。「前九年の役・後三年の役」のことがかかれた「炎(ほむら)たつ」という小説があります。出版社も著者も忘れましたが、大学時代、面白くて何度も読んだのを覚えています。この本はおすすめです。

 その義家が奥州からの凱旋中、勿来(なこそ)の関を通りかかったときに詠んだ歌です。

 もっといい話があるのですよ。義家と戦った敵の大将安倍貞任(あべのさだとう)が、衣川の戦いで、義家に追い詰められました。とどめをさそうと、義家が弓に矢をつがえました。そのとき、「衣のたては綻(ほころ)びにけり」と詠むと貞任が、「年を経し 絲(いと)の乱れての 苦しさに」と上の句を返しました。「なかなかやるなあ」と義家は、矢を射るのをやめました。

 ねっ、ねっ、ねっ、日本人って素敵でしょ。歴史を学ぶ大切さがわかります。私たちは、世界一の文明を「持っていた」民族です。ホワイトはそれがくやしくてしかたがなかったのです。欧米のものをありがたがる前に、自分たちはこんなにも素晴らしい文明(文化ではない)を持っているという自覚をすることが大切です。

 さて、拙首です。

 この寝顔 見れば力が わいてくる 時の音する 朝の出掛けに

 デジタル時計の音が、「カッカッカ」と秒を刻んでいました。出掛けに息子の寝顔をのぞきました。いつくになってもかわいいものです。私は世界一の親ばかです。

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このページは、宝徳 健が2011年3月 1日 07:08に書いたブログ記事です。

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