このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。
「東條内閣の組閣」です。七十八~九十までです。長い章ですね。八十だけでも長いので、数日に分けて書きます。
歴史の裏話の続きも書きます。今日も、日本軍がいかに支那人民を支那事変の際に助けたか。その日本人が助けている人民を支那の各軍隊がいかにふみにじったかを紹介します。日本は支那に謝る必要などありません。支那の政治家よ、靖国神社にお礼を言いに参りに来い! 靖国問題など、支那が言う資格はありません。だって、支那人民を助けたのですから。
八十(つづき)
又、かくの如き事の起ころうとは夢想もしませんでした。殊に私は近衛内閣総辞職の首唱者であるのみならず、九月六日の御前会議決定に参与したる責任の分担者であるからであります。特に九月六日の御前会議決定の変更のためには私が総理大臣としては勿論陸軍大臣として留任することが却って大なる困難を伴い易いのです。
【解説】
東條さん、ずいぶん悩まれていますね。安易に戦争を下のではないことを知りましょう。
さて、支那の話の続きです。あっ、そうだ、昨日、朝鮮人と書いたら、ある人から「差別用語だ」とメールをいただきました。どうぞ、このブログにコメントを入れてください。反対意見大歓迎です。まっ、事実を述べていますから、思想的な意見には流されませんが。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です。
朝鮮と言う名前は、あの半島の国が支那からつけてもらった名前です。そのとき、あの半島の国は「朝鮮」という名前をとても喜んだそうです。なのに、何がいけないの? でも、こういう事実もあります。日本が朝鮮を併合しました(植民地ではない)。支那人は、朝鮮人のことを「朝鮮人、朝鮮人」と馬鹿にします。多くの朝鮮人はそれに対して、「おれたちは日本人だ」と反論したそうです。
おっと、また横道にそれた。日本の敗戦後、支那は、国共内戦が全国規模で拡大しました。飢餓もいっそう深刻化しました。中華人民共和国が樹立されると、局面は横の戦争から、縦の階級闘争へと移りました。それに拍車をかけたのが毛沢東の「大躍進政策(どんなものかはいずれ書きます)」です。これは大失敗します。支那の政府は、この失敗により、数千万人規模の人民を餓死させています。
社会主義建設に失敗し、それによる犠牲者とその遺族に責任をとらざるを得なくなった支那政府は、支那の不幸はすべて日本の「侵略」のためだと懸命に責任転嫁の日本叩きにまい進しました。
せっかく、日本軍が救っていた支那の農業を、共産主義支那政府は、一気に崩しました。事実を知りましょう。
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