このシリーズは右のカテゴリー「短編小説」に格納されています。
昨日、IKさんから、崇徳天皇の呪いの恐ろしさを聞きました。京都に六波羅寺というところがありますが、そこで聞かれたそうです。なんでも、今でも、100年ごとに崇徳天皇の霊をなぐさめるお祓いをやっているそうです。今度行こうっと。
白河上皇が、自分の女御(にょうご)、璋子(たまこ)をなんと、孫の鳥羽天皇の中宮(皇后)にしてしまいました。その後も上皇と璋子の関係が続き、またまたなんと、子供まで作ってしまいました。
「どうかんがえればいいのじゃ」
鳥羽天皇は、悩みます。
「形の上では朕の子じゃ。じゃが、上皇様の子じゃ。わが子にして、祖父の子。そうじゃ、叔父じゃ。叔父じゃ。児の叔父じゃ。これからは、叔父児(おじご)と呼んでやろうぞ。それにしても面白くないのう」
「さてさて、わしの力は益々高まるのう。ホッホッホ~」
白河上皇は、法皇(ほうおう)となっていた。もう、政治の実験を握って四十年余りである。この世に自分に出来ないことなどないようにさえ思われた。
事実、第七十三代堀河天皇、第七十四代鳥羽天皇、そして、璋子と自分の子である、第七十五代崇徳天皇の即位を決定したほどの権勢を誇っていた。
その白河法皇がついに崩御なされた。
「やっと私の時代が来た」
鳥羽天皇は鳥羽上皇になっていた。白河法皇が生きていたときは何の権限もないお飾り上皇であったが、今度は自分が権勢をふるうことができる。鳥羽上皇はほくそ笑んだ。
「さて、崇徳天皇の後の第七十六代は誰にしようかのう」
鳥羽上皇の名目上の長男は、白河上皇と璋子の間に生まれた崇徳天皇である。本来なら、崇徳天皇の子が第七十六代の玉座に座ることになる。
「おかみ、何を考えておいでじゃ~」
鳥羽上皇の寵愛する藤原得子(なりこ:後の美福門院(びふくもんいん))であった。年といたとはいえ、その美しさには目を見張るものがある。
「そうじゃ、躰仁(なりひと)じゃ」
鳥羽上皇は心を決めた。第七十六代近衛天皇誕生の瞬間である。 つづく。
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