このシリーズは右のカテゴリー「短編小説」に格納されています。
藤原氏の兄弟のことを書いたところまででした。
藤原氏の兄弟のことを書いたところまででした。
「あの悪左府め。あのような驕慢(きょうまん)な男は私はみたことがないぞ」
上皇から法皇になっていた鳥羽法皇は、つぶやいた。法皇は、関白太政大臣藤原忠実(ただざね)の次男 頼長が大嫌いであった。頼長の宮中での 蔑称が「悪左府(あくさふ)」であった。
鳥羽法皇は、何かにつけて、温厚篤実な長男忠通(ただみち)に相談していた。後白河天皇の即位に当たっては忠通のみに相談し、忠実・頼長の親子を遠ざけてしまった。
「あのじじいめ。目にものをみせてくれん。老人は早く隠居すればいいのだ」
頼長はそう思いながら、父の忠実と善後策を練った。
もうひとりいた・・・・。
「なぜ、わたしの思い通りにことがならないのか。本来ならわが子が帝位に着くはずじゃ。私はこのまま朽ち果てるのか。いいや、そうはさせるものか。法皇を追い落としてみせる」
ここに不満を抱く者同士の利害が一致した。
崇徳上皇と忠実・頼長親子が結びついたのであった。
「法皇、たいへんですぞ。崇徳上皇と忠実・頼長の親子が結びつきましたぞ。武家の力を借りてわれらを追い落とそうとしてごじゃる」
後白河天皇は鳥羽法皇のところに駆け込んだ。
「わしの方でも、その情報はつかんでおる。心配するな」
前々からこの状況を予測していた鳥羽法皇は、予め武家に近づいていたのであった。
「わらわの方は、なんといっても、源義朝(みなもとのよしとも)と平清盛じゃ。これでこの争いは決まったようなものじゃわい」
一方の崇徳上皇、忠実・頼長親子は、源義朝の父 源為義と義朝の弟である源為朝である。それに清盛の叔父 平忠正がついた。
親族入り乱れての戦いである。貴族政治が終わりを告げ、そして、長い武家政治が始まるプロローグであった。この戦いを「保元の乱」という。
口を動かすとき、上あごは動かない。上あごが動くと、しゃべることも食べることもできない。家族・組織・国も同じである。いくら下ががんばっても、上あごである上司や経営者がグラグラしていては成り立たないのである。
そして、歴史上、多くの場合、上が腐る。 そう、魚と同じで、腐るときは頭から腐るのである。元を正せば、この乱は白河上皇の閨房(いわば女性とのセックス関係)の乱れから起こったことである。それが、貴族政治の終焉を告げることになるのだった。
敗れた崇徳上皇は、讃岐に流された。
嘆き悲しんで、言った。
「われ日本国の大魔縁(だいまえん)となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」
皇室を潰してやるということである。
西行法師は讃岐に行って霊を慰めた。そして詠んだ。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん
「お上よ、もうよいではないか。成仏なされい。でも、まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
(この話終わり)
上皇から法皇になっていた鳥羽法皇は、つぶやいた。法皇は、関白太政大臣藤原忠実(ただざね)の次男 頼長が大嫌いであった。頼長の宮中での 蔑称が「悪左府(あくさふ)」であった。
鳥羽法皇は、何かにつけて、温厚篤実な長男忠通(ただみち)に相談していた。後白河天皇の即位に当たっては忠通のみに相談し、忠実・頼長の親子を遠ざけてしまった。
「あのじじいめ。目にものをみせてくれん。老人は早く隠居すればいいのだ」
頼長はそう思いながら、父の忠実と善後策を練った。
もうひとりいた・・・・。
「なぜ、わたしの思い通りにことがならないのか。本来ならわが子が帝位に着くはずじゃ。私はこのまま朽ち果てるのか。いいや、そうはさせるものか。法皇を追い落としてみせる」
ここに不満を抱く者同士の利害が一致した。
崇徳上皇と忠実・頼長親子が結びついたのであった。
「法皇、たいへんですぞ。崇徳上皇と忠実・頼長の親子が結びつきましたぞ。武家の力を借りてわれらを追い落とそうとしてごじゃる」
後白河天皇は鳥羽法皇のところに駆け込んだ。
「わしの方でも、その情報はつかんでおる。心配するな」
前々からこの状況を予測していた鳥羽法皇は、予め武家に近づいていたのであった。
「わらわの方は、なんといっても、源義朝(みなもとのよしとも)と平清盛じゃ。これでこの争いは決まったようなものじゃわい」
一方の崇徳上皇、忠実・頼長親子は、源義朝の父 源為義と義朝の弟である源為朝である。それに清盛の叔父 平忠正がついた。
親族入り乱れての戦いである。貴族政治が終わりを告げ、そして、長い武家政治が始まるプロローグであった。この戦いを「保元の乱」という。
口を動かすとき、上あごは動かない。上あごが動くと、しゃべることも食べることもできない。家族・組織・国も同じである。いくら下ががんばっても、上あごである上司や経営者がグラグラしていては成り立たないのである。
そして、歴史上、多くの場合、上が腐る。 そう、魚と同じで、腐るときは頭から腐るのである。元を正せば、この乱は白河上皇の閨房(いわば女性とのセックス関係)の乱れから起こったことである。それが、貴族政治の終焉を告げることになるのだった。
敗れた崇徳上皇は、讃岐に流された。
嘆き悲しんで、言った。
「われ日本国の大魔縁(だいまえん)となり、皇を取って民とし、民を皇となさん」
皇室を潰してやるということである。
西行法師は讃岐に行って霊を慰めた。そして詠んだ。
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは 何にかはせん
「お上よ、もうよいではないか。成仏なされい。でも、まあ、こうなったのもすべて白河の帝の責任じゃあ。低い身分の女を后の位につけた、白河の帝の責任じゃあ」
(この話終わり)
コメントする