このシリーズは右のカテゴリー「短編小説」に格納されています。
このシリーズ結構人気があってうれしい。読者の皆様感謝します。もっともっとみなさんを歴史好きにするぞー。
保元の乱、平治の乱って、学校で習ったとき、なんか勝手に武士が争ったことと年号しか教わらなかったのでは? それじゃあ、つまらないですよね。日本の学校の歴史教科書は、世界で一番つまらない本です。うそもひどいし。まあ、支那や朝鮮やアメリカやヨーロッパの歴史教科書のひどさほどではないですけど。これらの国は日本とは逆のうそばかりです。
さて、平治の乱がなぜ起こったかまででしたね。
このシリーズ結構人気があってうれしい。読者の皆様感謝します。もっともっとみなさんを歴史好きにするぞー。
保元の乱、平治の乱って、学校で習ったとき、なんか勝手に武士が争ったことと年号しか教わらなかったのでは? それじゃあ、つまらないですよね。日本の学校の歴史教科書は、世界で一番つまらない本です。うそもひどいし。まあ、支那や朝鮮やアメリカやヨーロッパの歴史教科書のひどさほどではないですけど。これらの国は日本とは逆のうそばかりです。
さて、平治の乱がなぜ起こったかまででしたね。
「にくきは、平清盛。ああ、なぜに源氏が敗れたのか・・・」
次第に薄らいでいく意識の中で、源義朝は思った。そしてついに・・・。
*****
「ほっほっほ~、兄じゃ、平家にあらずんば人にあらずじゃなあ」
「これ、何を申しておる。そのようなことを人にいうでないぞ」
清盛は、弟たちにそう言われてまんざらでもなかった。平治の乱に勝利した清盛はその後、栄進を続け、なんと太政大臣の地位まで登りつめ、位人臣(くらいじんしん)を極めたのであった。
「それにしても、義朝のものじゃった常盤というおおなごはまっこと美しい。それに、あのおなごを抱く床も最高によいのう。ふっふっふ~」
妻の時子が嫉妬心を炎のように燃やしているのは知っているが、それでも、あれほどの味をしたおなごは、男として離すわけにはいかない。最後の子、牛若を鞍馬寺に入れてから、誰の目もはばかることなく常盤のもとを訪れ、そして、常盤との官能の夜を楽しむのであった。
清盛は娘徳子(後の建礼門院)を高倉天皇の后にし、そして、二人の間に安徳天皇が生れた。清盛は、実力・地位に加えて、天皇の外戚の祖父という力さえも手に入れてしまった。
その平家も清盛の死後、安部川の戦い、一の谷の合戦、八島の合戦、壇ノ浦の合戦で、相次いで、源氏に破れ、そして、二位尼(にいのあま・清盛の妻時子)は、安徳天皇を抱いて、壇ノ浦に入水したのであった。
「恐ろしいのう。崇徳の帝よ。成仏なされい。成仏なされい」
西行はまたも祈った。安徳天皇の入水(じゅすい)も崇徳上皇の呪いと言われている。崇徳上皇は常に怨霊として、皇室の周りを漂っているのである。
明治天皇が東京にお移りになられるときには、京都であらためて崇徳上皇を祀ったのだ。それほどまでに現代に至るまで皇室は崇徳上皇の怨霊を恐れているのである。
それもこれも、すべて白河天皇の閨房(いわば女性とのセックス関係)の乱れから起こったことである。恐ろしいや、恐ろしや~。
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