このシリーズは右のカテゴリー「短編小説」に格納されています。
上京して、ホテルに来て、早めに寝ようとしたら、息子からある件で緊急の要請が。各方面に迷惑をかけて準備できました。早く寝て、早く起きて仕事しようと思ったのに。ええい、寝られん。もう起きたままで仕事しています。
弓で鵺(ぬえ)を退治し、そして、和歌にも長けている源頼政は、帝から菖蒲御前という美女を賜りました。でも、頼政は、あまり官位があがらず、六十を過ぎても正四位下(しょうしいげ)の位のままでした。・・・さて、頼政の弓と和歌の話をしたいのではありません。歴史というのは、本当にくだらないことがきっかけで、大きな変革が起こるということを・・・。
「これほどの手柄をあげても官位があがらないのは、やはりわしが源氏だからじゃのう」
頼政は、こう言って、一首したためた。
のぼるべき たよりなき身は 木の下に 椎をいろひて 世をわたるかな
平家の時代だから昇進しないのだろう。だから、椎(四位)の実を拾って食べているようなものだと自分の境遇を皮肉ったのであった。和歌でいう掛詞である。
さて、当時の和歌はすさまじい影響力があった。この和歌のおかげで、七十を超えていた頼政は、従三位(じゅさんみ)に昇進したのであった。
江戸時代の人はこれを皮肉った川柳を読んだ。日本人はなんとユーモラスな民族であろうか。
もう一首 ねだると二位に なるところ
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「なぜじゃ、なぜ私だけ、親王になれないのか。私とて後白河天皇の子供ではないか」
後白河天皇には三人の男子がいた。第一子は、第七十八代二条天皇である。また、後白河天皇が上皇になってから、第三子を天皇の位につけている。高倉天皇である。高倉天皇の母親は、清盛の正室時子の妹、滋子であった。清盛の政略で高倉天皇は皇位につけた。
このような経緯で、後白河天皇の子供のうち二人が天皇に即位したが、高倉天皇の兄である以仁王(もちひとおう)だけは親王になれなかった。以仁王は面白くなかった。ことあるごとに、清盛は、自分に圧力をかけ、親王宣下もできなかったのである。
「そうじゃ、頼政じゃ。頼政を使って・・・」
頼政もある事件が原因で、ひそかに平氏に恨みを抱いていることを以仁王は掴んでいた。
そして、これが有名な、以仁王の「平家追討の令旨(りょうじ)」となるのであった。
さてさて、平治の乱でひとり平家に味方したほどの頼政が、平氏に恨みを抱くようになった事件とは? ほんとうにくだらないことである。歴史の大事件は往々にしてくだらないことがきっかけとなる。 つづく。
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