誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「十一月五日の御前会議及びその前後」の章を解説しています。数回前から解説の仕方を変えています。

 今回は、「陸海軍合同軍事参議官会議」を解説していきます。この章の内容と解説です。

 御前会議の前日、十一月十四日に、陸海軍合同参議官会議という会議が開かれました。

 結論から言うと、陸軍の作戦上、希望としては、時期は十二月初頭でなければならないという内容になっています。上陸作戦は海軍の作戦が非常に重要で、海軍が順調に進展すれば、成功を確信するというものです。敵の根拠地を占領し、海上交通の確保とあいまって、戦略上の不敗の態勢を占めればいいということです。要するに、日本は、天然資源を手に入れて不敗の態勢を占めたいということだけです。アメリカやイギリスに侵攻しようという発想はみじんもありません。

 ただ、明治時代の戦争と明らかに違う点があります。

 明治時代の戦争は、日本に主体性がありました。日本が主体性を発揮し、そして、終わりは「短期決戦」と決めて戦争を遂行しました。明治時代の戦争はみんな二年足らずでした。

 ところが、大東亜戦争は、アメリカの外交の出方しだいでやるかやらないか決めようとか、やるとしたら長期戦になるだろうとかが、この会議で話し合われています。つまり、主体はアメリカにあります。

 支那事変も長期化してしまいました。支那事変が長期化した原因は、蒋介石とそれを援護していたアメリカに原因があることは明らかですが、それでも、日本の主体性のなさから、長期化してしまいました。戦争とは、短期で勝ちに行かなければなりません。特に日本のように小さな国では。でなければ、してはなりません。相手を騙してでも、外交戦略で勝つしかありません。

 それと、明治の戦争と違うのは、世界を相手にしてしまったことです。こんな小さな国が世界中と戦争をしたのです。兵力でかなうはずがありません。当時の日本は、陸軍で総兵力が70万人程度です。満州において、ソ連をけん制し、支那事変にも兵力を割く必要があります。ですから、対米戦争では15万人ぐらいしか使えません。

 また、開戦になればインド、オーストラリア、ニュー人ランドから兵力80万人ぐらいが増援されてしまいます。つまり、昭和の将軍たちは古典を読んでいないので、戦い方を知らなかったのです。さっと、叩いて、さっと講和に持ち込む。残念です。実際にはアメリカにも勝てるチャンスはありました。明治の将軍たちであれば・・・。

 まあ、戦争のやり方のまずさは別にして、こんなに優柔不断だった日本が侵略戦争をするはずがありません。

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このページは、宝徳 健が2011年4月21日 17:50に書いたブログ記事です。

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