以前読んだ本を読み返していたら、こんな話が出てきました。本を読み返すっていいですね。
人間にありがちなパラダイムのくだらなさを説いています。結局人間は、広く学び自分を鍛えて、優れた人と出会い、自分自身でこの転換点を見つけるしかないのですね。
奥深い細長い洞窟がある。人間たちはそこを住居として子供のときから過ごしている。手足と首を縛られたままでいるので、頭をめぐらすことも出来ず、前しか見ることができない。はるか後方には洞窟の出口があり、その外には太陽の輝く自然が広がっているが、それらに気づく術もない。
彼らの前面は、洞窟の壁。後方には、洞窟を明るく照らし出すかがり火が焚かれている。その壁には、後方に燃える火の光によって様々な影法師が映り続けている。石や木で作った動物や工作物の影法師である。彼らは生まれて以来その投影された影以外は見たことがない。彼らは当然、その見続けてきた影こそを実在と信じてやまないだろう。
そんな中で、ある日突然、この縛りを解かれたものがいたとしよう。彼は急に首を巡らし、火の光の方を見ることを強制されたとする。今まで影しか見せられていなかったその現物を見せられる。そして、あなたが今まで見ていたものは、愚にもつかぬ影で、今あなたが見ているものこそ実在だと説明されたとする。けれども、彼はきっと以前からずっと見てきたものの方に真実性があると思うに違いない。
さらに、誰かが力づくで彼を入り口まで引っ張っていき、太陽が照らしているところへ引き出したなら、どうするだろうか? 彼は引っ張ってゆかれることに苦情を言い、いざ、太陽の光の見える所に来たとしても、眼はくらみ、真実であると言われているものを一つも見ることはできないだろう。
しかしやがて、眼も慣れてきて太陽を見ることができるようになり、太陽が照らし出す世界、地上について知るようになる。それでも彼はかつての世界へ戻りたいと思うだろうか。かつて、あの洞窟の中で智慧とされ、名誉とされていたもの、権勢を欲しがるだろうか。否である。
むしろ、彼らは、地上にあることが許されさえすれば、たとえ貧しくても、どんな目に遭おうとも、あの洞窟に戻るよりははるかにましであると考えるだろう。そして当初苦痛だった自分に訪れた大きな運命の転換を心から幸せだと思うに違いない。
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