手にしたものは離さない

| コメント(0) | トラックバック(0)
 6月5日の産経新聞に、田上等(たがみひとし)という方が菅のことについて書いています。何回かに分けて紹介します。本文をそのまま掲載します。

【田上等氏】
昭和25年生れ 慶應義塾大学卒。父親は民社党の田上松衛参議院議員。在学中から市川房枝参議院議員の選挙にかかわり、菅直人と知り合う。社会市民連合の創設メンバーの一人で、昭和54年から衆議院議員選挙などに計5回立候補するがすべて落選。平成3年から15年間、国民健康保険組合で働いたが、平成18年に退職。借金も重ねた結果、約3年前から路上生活を送り、古本集めなどで生計を立てている。離婚した元妻との仲人は菅直人。
 菅さん、内閣不信任決議案の否決ではあざとい手法で首がつながりましたが、本当にそれがいいんですか? 「してやったり」と思ったのでしょうが、鳩山由紀夫前首相との辞任合意をほごにし、すぐに「辞めることを約束したわけではない」と言うなんて・・・。ペテン師と呼ばれて当然です。すぐにばれる嘘なんてしゃれになりませんよ。粘って時間が稼ぎをしていれば、そのうち世間も付いてくれると甘く考えていたふしがあるけれど、そんな延命策には誰もついてきやしません。いよいよ菅さんによって、日本の民主主義が破壊されていくと感じました。

 東京電力福島第一原発事故で何でも東電のせいにしたり、東電本店に怒鳴り込んだりしたのは、あなた独特の「合理性」からですね。みんな自己責任だと思っている。20年ほど前に私が自己破産したときも「自分の家を取られた不始末はお前の責任だ」と血も涙もなく突き放されました。それでも、弁護士費用を立て替えてはくれましたが・・・。

 あなたと出会ったのは、市川房枝元参議院議員の選挙を手伝ったとき。あなたが選対本部事務局長で私が会計責任者。4つ年上で頼もしく見えましたが、当時から国家観や哲学なんてものはありませんでした。昭和51年の衆院選に初めて望んだ際、私が選対本部事務局長を務め、次に参院選に挑んで惨敗した後、次はどうするか語り合いましたね。あなたは「たとえ応援してくれる人がいなくなって、おれ独りになってもやる」と強気でした。

 いま、民主党内や野党からの「辞めろ」の大合唱にもめげない厚顔無恥な彼の姿に通じるものがあります。一度手にしたものは絶対、手放さない人です。

つづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/2541

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2011年6月 7日 08:07に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「原作とは違う「ドラマ 仁」」です。

次のブログ記事は「命の手紙」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。