誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 「東條内閣の日米交渉」の続きを解説します。

 さて、いよいよ、戦争をしたくて仕方がないアメリカが、最後に日本を追い込んだハル・ノートを解説します。日本人ならば必ず知らなければならない真実です。

 1941年(昭和十六年)十一月二十六日、アメリカは日本にハル・ノートを突きつけます。この覚書は、米国の主張を固辞するばかりではなく、それまでの話し合いで進めてきた点も全部はくしかしたものでした。日本にとってはとても受け入れることはできません。

 ハル・ノートの要点は以下の四つです。

一、日本の陸海軍及び警察隊も含めて、満州を含む支那全域とインドシナからも無条件に撤退せよ

二、満州国は否認すること

三、南京国民政府を否認しろ

四、日独伊三国同盟を死文化しろ

 当時、満州国を承認してい国がヨーロッパも含めて数十カ国にもなっていました。それを否認しろとアメリカはいいます。そうすると日本が立てた皇帝はどうなるか、と日本アメリカに聞きました。でも、アメリカは一切応えません。

 これが、戦後、満州国が滅ぼされ、支那に組み込まれた原因となりました。支那は歴史上、一度も満州を支那にした事実はありません。

 南京国民政府にしてもそうです。南京政府は日本軍応じて、汪兆銘が命がけで重慶を脱出し樹立した政権であり、動機も日本にへつらうというものではなk、日本占領下でも支那人民を代表する政府が必要であるとの愛国心によるものでした。それを否認しろとアメリカはいいます。

 これは現代で言うとどういうことか。イラクに立てた政府をアメリカに否認しろと言ってアメリカがその条件をのみますか? あるいは、クウェート政府を否認しろといったらどうでしょうか?

 三国同盟の死文化は、もう日本にとってはこの同盟はどうでもいいものなので、問題にはなりませんが。

 それまでも、日本は、なんとか戦争を避けたいと考えていました。ある程度苛酷な条件でも、石油の禁輸さえ緩和してくれれば譲歩してもよいというところまで行きました。でも、ハル・ノートは日本のそんな希望をぶち壊しました。

 だって、戦争にならなかったら嫌なのはアメリカの方だからです。

 さて、このハル・ノートに隠された国際的な陰謀があります。次回解説します。

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このページは、宝徳 健が2011年6月18日 09:01に書いたブログ記事です。

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