「東條内閣の日米交渉」の続きを解説します。
ハル・ノートの続きです。
このハル・ノートについては、当時の日本政府も東條英機も知らないことが、戦後、どんどん明らかになりました。
一、当時アメリカ政府は、外交通信の解読に成功していて、日本が何を考えているか、すべてわかってました。こちらの情報が筒抜けになるということは、外交では致命的です。
二、十一月二十日の日本側案は最後通告であることを、アメリカ国務省が知っていたこと。
三、ハル・ノートに先立って、日本にとってなお交渉の余地がある仮取り決め案をルーズベルトの考えに基づいて作成し、これによって対日外交を進めんとしたこともあったということ。これは、本当はハル国務長官の案でしたが、この案自体、陸海軍の軍事充実のための時間稼ぎが目的でした。しかも、この案は、イギリスと支那の重慶政府の反対があったため取りやめたのです。
四、ハル・ノートを、日本政府が最後通牒と見ていることは、アメリカ側にはわかっていたこと。
五、アメリカは昭和十六年(1941年)十一月末には、すでイギリスとともに戦争の決意はしていました。そればかりではなく、日本から先に手を出させることが外交的に有利であると考えていたのです。このような卑怯な考えがあるとは、当時の日本は夢にも思っていませんでした。
さて、この事実もすごいのですが、こんなことが吹き飛んでしまうほどの事実が、このハル・ノートには隠されているので。次回に続きます。
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