未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その1)

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 新シリーズです。なつかしの「未来日本昔話」です。まさる君は、中学生になっています。12歳です。おばあちゃんを「お」、まさる君を「ま」としています。

 日本人がだらしなかったので、日本の国がつぶれてしまったという前提です。時は、2111年。北海道はロシアに、九州は支那に、本州と四国はアメリカになってしまっています。
ま「おばあちゃん、お久しぶり~」
お「あら~、まさる、ご無沙汰ね。おばあちゃん、さびしかったわ」
ま「ごめんごめん。中学生になって、クラブ活動が忙しくて、なかなか来れなかったんだ。でも、これからは来るよ。夜になってもいい? 時々泊まってもいい?」

お「いいともさ。ご飯もここでお食べ。おじいちゃんの書斎で本もいっぱい読むといいよ」
ま「わーい。ところでおばあちゃん、日本の国がつぶれる前、支那が、日本は大東亜戦争時に、南京で大虐殺をやったって、騒いでいたけど、調べてみると、全然違うよね?」
お「そうだね。まさるが小学校のときにも話したとおり、あれは、日本の新聞社の人間が、でっちあげ記事を書いて、それを支那の政府が活用して、日本からお金をたくさんせしめたのさ。」

ま「うん。これ僕なりに整理してみたから、おばあちゃん、間違っていたら教えてね」
お「はいはい、おばあちゃんももう一度勉強してみるね。一緒に正しい日本の歴史を勉強しよう」

ま「そもそも、日本が支那に軍隊を送ったのは、明治33年の義和団の乱(北清事変)が原因だよね」
お「そうよ」
ま「義和団という支那の宗教団体が、北京の外国公使館を次々に襲って、支那に住んでいた外国人を追い出そうとした。普通はそんなことになれば、その国の政府がそれをやめさせようとするけど、当時の支那(清)は、逆にその暴動をあおったんだ」

お「そうよ。今の共産主義の支那政府と同じだね。今も昔も支那のやり方は変わらないね」
ま「支那に支配されている九州はたいへんだね。 さて、その義和団の乱のときに、各国は、支那にいる自国民を守るためにやむを得ず支那に軍隊を送ったんだ。その数11カ国」

お「そうだね。それで結局支那は各国の軍隊が無期限に支那に駐兵することを公式文書で認めざるを得なくなったんだ。だから、日本が支那を侵略したなんてうそっぱちで、日本は他国と同様、支那に公式に軍隊をおいただけなんだよ」

ま「うん。だから国際法には違反していない。そうやって日本は公式に支那に軍隊をおいたんだね。そして昭和11年に支那で重大事件が起こった」
お「そうだね。西安事件」
ま「うん。当時、支那で最も勢力が強かった国民党の蒋介石が、毛沢東率いる八路軍(共産軍)に拉致換金されたんだ」

お「あなたのおじいちゃんが若いころ、西安(シーアン)に行ったら、蒋介石を狙った銃弾の跡がまだ残っている建物があったそうだよ」
ま「へー。行ってみたいけど支那はこわいや。そのとき、毛沢東は蒋介石にこう告げられたんだ『命を助けてほしかったら、われわれに協力して日本と戦うのだ』と」

お「そうだね。共産主義とか左翼というのは、自分では手を出さず、相手の勢力を弱めようとするのが得意だからね。日本と国民党軍を戦わせて、両方を消耗させてから自分が支那を支配しようとしたのさ」
ま「うん。でも、蒋介石はだめだね。結局、毛沢東の言うことを聞いてしまった」
お「そうそう、それから半年後の昭和12年7月7日 盧溝橋事件が起きたのさ」
ま「うん、支那事変の始まりだね。それまでは蒋介石は、日本はそんなに敵対視していなかったもの。」

お「まあまあ、今日は久しぶりのまさるとのお話だから、このくらいにしておこう。盧溝橋事件はまた今度ね。今度の週末ぐらいに来るかい?」
ま「うん」
お「じゃあ、今日は、おばあちゃんちでご飯を食べていきなさい。暑い日が続くから、うなぎでも取ろうかね」
ま「わーーーーーい」

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このページは、宝徳 健が2011年7月 2日 10:19に書いたブログ記事です。

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