未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その3)

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 国民が民主党なんかに政権を取らせてしまったので、日本という国がつぶれてしまったという設定です。時は2111年。北海道はロシアに、九州は支那に、本州と四国はアメリカになってしまいました。

 さて、日本軍による南京総攻撃です。あなたが知っている嘘と史実を比べてください。

 まあ、もっとも、ほとんどの日本人が、史実を学ぼうとせず、左派や支那のいうことを鵜呑みにして、「南京大虐殺はあった」と思い込んでいるのですがね。

 おばあちゃんが「お」、まさる君が「ま」です。
ま「おばあちゃん、こんにちは。また来たよ」
お「おやおや、おばあちゃんは、まさるが来てくれるとうれしいけど、勉強やクラブ活動は大丈夫なのかい?」

ま「うん。クラブ活動は、僕たちの中学は弱くて、もう試合に負けたから、夏休みはないんだ。宿題はほとんどでないし。日本人をだめにしたいから、学校も元日本人にはあまり勉強をさせないんだよ」
お「そうかいそうかい。でも、米国が教える勉強なんてたいしたことないから、自分の思うことをしっかりと勉強しなさい」
ま「うん。おばあちゃん、二日間ほど泊まっていっていい?」
お「いいともさ。うれしいね」
ま「僕がいて疲れない?」
お「疲れるもんかね。おばあちゃん、若返るよ」

ま「わーい。じゃあ、南京総攻撃のことを話し始めようね。当時の南京の中心部は、高さ20メートルもの城壁にぐるりと囲まれた要塞のようなつくりをしていたんだ。城内の広さは東京の世田谷区ぐらい。南北11キロメートル、東西5キロメートル」
お「そうだね」

ま「城壁に設けられた城門は全部で19箇所。これがまた分厚い縄文で、厚さが10メートルもあったんだ。日本軍はこの南京城に立てこもった中国の南京防衛軍と一戦まじえることになったんだね」
お「そうだね。それはそれは大変な攻防戦だったんだ。日本軍は南京城を取り囲むようにしてそれぞれの城門をめがけて総攻撃を開始したんだよ。中でもすごい激戦地になったのは、東から南にかけての城門だったんだよ。特に、光華門(こうかもん)と中華門」

ま「うん、中華門は、高さ20メートル、厚さ10メートルもある南京城で最強の城門だった。城門は四重もの鉄門で造られていて、門の内部には兵が隠れられる空洞があったんだ」
お「そこには三千人の兵を収容できる広さだった」
ま「そう。城壁の一番上には、銃眼が並び、場外に迫る日本軍を狙いすませていたんだ。もっとすごいのは、壁上へと続く「車道」があったんだよ」

お「ほー、おばあちゃん、それは知らなかった。ということは、その車道から城壁に大砲なんかも運べたんだね」
ま「うん。城門の外には、川幅30メートル、水深3メートルの河が流れていて、それが外堀になっていた。」
お「そして、この中華門を攻略したのが、熊本第六師団だね。まさる、今日はこのくらいにして、ご飯にしよう。ロシアの支配下の北海道から、こっそり、ジンギスカン肉を送ってくれたんだ」
ま「ジンギスカン? 一度、食べたことがあるけど、あまりおいしくなかったよ」
あ「まあ、食べてごらん。焼いてあげるから。実はもう準備はできているんだよ」

(ジュージュ)

ま「な・な・なに? ジンギスカンってこんなにおいしかったの? すごいね」
お「そうだよ。帯広というところはとてもおいしいんだよ」
ま「おいしすぎる。いっぱい食べていい?」
お「いいともさ。全部お食べ。まさる、食べながらこれを見て。日本軍が南京城を攻略するときに、兵士に出された通達さ。どこが虐殺なものかね。あの当時の日本人は、マッカーサーの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争犯罪プログラム)」に騙され、世界で唯一自国を悪とした日本国憲法を妄信的に信じ、朝日新聞や毎日新聞やNHKをはじめとする赤いメディアに騙されて、こういう事実から眼をそらせたからね」
ま「うん、食べながら読む(モグモグ)。だから、当時の日本人は民主党なんていう左翼に政権をとらせたのだね。おばあちゃん、これ知らなかった。日本軍って規律正しかったんだね」

お「そうさ。世界のどの国よりもね。世界で唯一、国際法を遵守した国だったんだ。なのに・・・」
(つづく)


南京城攻略要領(なんきんじょうこうりゃくようりょう)は、支那事変中の1937年(昭和12年)12月7日、中支那方面軍が南京攻略戦にあたり隷下の部隊へ示達した文である。不法行為を厳禁し、諸外国の権益の保護することなどを求めている。

その抜粋は次のとおりである。

一 南京守城司令官若クハ市政府当局尚残置シアル場合ニハ開城ヲ勧告シテ平和裡二入城スルコトヲ図ル 此際各師団ハ各々選抜セル歩兵一大隊〔九日、三大隊に訂正〕ヲ基幹トスル部隊ヲ先ツ入城セシメ城内ヲ地域ヲ分チテ掃蕩ス

ニ 敵ノ残兵尚城壁二拠り抵抗ヲ行フ場合ニハ戦場二到着シアル全砲兵ヲ展開シテ砲撃シ城壁ヲ奪取シ各師団ハ歩兵一聯隊ヲ基幹トスル部隊ヲ以テ城内ヲ掃蕩ス 右以外ノ主カハ城外適宜ノ地点二集結ス

三 城内掃蕩戦二於テハ作戦地域ヲ指定シ之ヲ厳二確守セシメ以テ友軍相撃ヲ防キ且不法行為二対スル責任ヲ明カナラシム

四 城内二於ケル両軍ノ作戦地境

共和門―公園路-中正街-中正路-漢中路

五 各軍二対スル配当城門

派遣軍 中山門、大平門、和平門
第十軍 共和門、中華門、水西門

六 南京入城後ノ処置

1 各兵団二地域ヲ指定シテ警備二任セシメ主カハ城外適宜ノ地点二集結ス
2 入城式、合同慰霊祭、防空部隊ノ推進、南京警備部隊ノ配備等ノ件〔略〕

七 南京城ノ攻略及入城二関スル注意事項

1 皇軍力外国ノ首都二入城スルハ有史以来ノ盛事ニシテ永ク竹帛二垂ルヘキ事績タルト世界ノ斉シク注目シアル大事件ナルニ鑑ミ正々堂々将来ノ模範タルヘキ心組ヲ以テ各部隊ノ乱入、友軍ノ相撃、不法行為等絶対二無カラシムルヲ要ス
2 部隊ノ軍紀風紀ヲ特二厳粛ニシ支那軍民ヲシテ皇軍ノ威武二敬仰帰服セシメ荷モ名誉ヲ毀損スルカ如キ行為ノ絶無ヲ期スルヲ要ス
3 別二示ス要図二基キ外国権益特二外交機関ニハ絶対二接近セサルハ固ヨリ外交団力設定ヲ提議シ我軍二拒否セラレタル中立地帯ニハ必要ノ外立入ヲ禁シ所要ノ地点二歩哨ヲ配置ス 又城外二於ケル中山陵其他革命ノ志士ノ墓及明孝陵ニハ立入ルコトヲ禁ス
4 入城部隊ハ師団長力特二選抜セルモノニシテ予メ注意事項特二城内外国権益ノ位置等ヲ徹底セシメ絶対二過誤ナキヲ期シ要スレハ歩哨ヲ配置ス
5 掠奪行為ヲナシ又不注意ト雖 火ヲ失スルモノハ厳罰ニ処ス 軍隊卜同時二多数ノ憲兵、補助憲兵ヲ入城セシメ不法行為ヲ摘発セシム
 大日本帝国陸軍とはすばらしい軍隊でした。

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このページは、宝徳 健が2011年7月14日 17:31に書いたブログ記事です。

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