このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。
二回目です。
北朝鮮に移送された「非労働力」の抑留者と入れ替わりに、当時、北朝鮮のソ連強制労働収容所にいた約2万2千人の日本人抑留者が、ソ連領内に「新労働力」として送り込まれたという。元山では銃殺など日本人殺戮行為は行われなかったとしている。
平成9年(1997年)3月、厚生省(いまの厚生労働省)社会援護局が発行した『援護五十年史』は「ソ連邦側は、抑留日本人のうち病気などのため労働に耐えられない約4万3千人を、旧満州および北朝鮮各地の病院または収容所に移送した。この中には油槽途中に死亡する者が続出したが、受け入れた病院・収容所の状態はソ連邦の収容所と同様で、さらに多数の死亡者を出す状態となった・・・」とだけ記され、移送者のうち具体的な死亡数などには言及されていない。
『援護五十年史』はまた、旧ソ連地域への抑留者総数を、「約57万5千人(うちモンゴル約1万4千人)」と記している。しかし、日露関係筋は、「ざっと60万人だが、依然未解明」と述べる一方、死者総数については、「ソ連領内が約6万人、北朝鮮で焼く1万人、モンゴルでは約1万人で、最低でも合計8万2千人」と指摘して、「モンゴル抑留実態もなおナゾだらけ」と語った。
つづく
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