親父の親父の物語

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 このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 引き続き、私の親父が祖父について書いた「寳德 義一生誕百年祭」の内容を掲載します。

 私の親父すごいですね。私は自分の父親のことをこれほど知りません。

 この資料は私の父が一族のみんなへ配布したものです。文章がそういう口調(?)になっています。(※)は、私のコメントです。

寳德 義一生誕百年祭

-平成15年4月25日・父の誕生日-

○明治37年4月25日生まれ

○大正11年 福井縣立小浜水産学校魚撈科(ぎょろうか)卒業

○大正12年 咸鏡北道水産會書記兼技手(ぎて)

○大正13年 同會専任技手

○大正13年 咸鏡南道洪原郡廰(こうげんぐんちょう) 産業技手

○昭和 6年 咸鏡北道北青(ほくせい)郡廰 産業技手

○昭和 9年 咸鏡南道元山府廰 産業技手

○昭和12年 朝鮮総督府咸鏡南道技手を拝命

○昭和15年 退官-咸鏡南道漁業組合聯合會理事(咸鏡魚聯理事)就任

○昭和18年 咸鏡南道興南邑(こうなんゆう)府 西湖津(せいこしん)漁業組合長

○昭和20年 応召

○昭和33年 昭和21年1月25日 満州国間島省延吉縣で戦病死との通知を受ける

※当時の朝鮮行政区画は

商戦総督府、道(県)、府(市)、邑(町)、面(村9であった。郡は(郡)だが、日本内地と違う点は、郡廰があり、行政の単位となっていた。

 この資料は、皇紀二千六百年(昭和15年9に出版された『咸南名鑑』(元山毎日新聞社刊行-国会図書館蔵)を抜粋したものです。

 この名鑑には、昭和8年5月に自分のカメラで写した30歳のときの写真(右)が掲載されています(※この写真は後日掲載します)。

 この資料によると、昭和13年、佳男(※私(寳德健)の父)の同級生の父-堀平吉氏とは洪原郡廰(こうげんぐんちょう)時代に一緒だったのではないかと思われるものがあります。堀氏は経理でお父さんは産業(水産)です。

つづく

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このページは、宝徳 健が2011年7月 6日 09:27に書いたブログ記事です。

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