親父の親父の物語

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 このシリーズは、右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 三十歳時の私の祖父 寳德 義一です。

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 実際には写真があるのですが、私の親父が作った「寳德 義一生誕百年祭」に掲載されたコピーをスキャンしています。この写真が小さいとき、寝る部屋に飾ってありました。(といっても、応接兼居間兼寝室ですが。3部屋に7人住んでいました。祖母、父、母、叔父、姉、妹、私)

 さて、昨日の続きです。


 玉川小学校(※福井県丹生郡越前町)で同級生だった小泉熊造さんが語るお父さんの話です。

 「頭のいい男でなあ、習字もうまかった。いまもその習字が学校にあるのと違うか?」

 県立小濱水産学校を受験したとき、発表の前に寄宿舎にふとんなどの荷物が運ばれたというから、祖父母(※父の)は合格という相当な自信があったのだと思います。
 右の写真は、若狭 小濱港 武藤写真館と書いてあります。何年生のものかは分かりません。


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 同窓会誌を見たことがありますが、相当なワルだったようです。当時の寄宿舎は、上級生と下級生が数名同室だったようで、お父さんが最上級生のときはみなピリピリしていた様子が書いてありました。

 卒業式のあと練習船で宴会があり、先生方や有力者は船に集まる。生徒は伝馬船で芸者さんを練習船に運ぶことになります。ここでお父さんが主役として登場します。伝馬船を途中で転覆させて芸者さんを生みに放り込む。水産学校だから泳ぎはみな上手だ。それを助けるのはお手のもの。

 賄い征伐も書いてあった。「賄い征伐」とは、食堂からご飯などを盗むことです。海軍でいえば「銀蝿」。これもお父さんが主役だったようです。

つづく

 

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このページは、宝徳 健が2011年7月 7日 15:42に書いたブログ記事です。

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