親父の親父の物語

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 このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。

 続きを書きます。今回は、じいさんの酒の話や弓の話が出てきます。だから、私も酒飲みなんだ・・・。

 お酒は一流に飲みました。家でも外でも飲んでいましたが、気の毒なのはお母さんです。いつも誰か来ないかと待っているのでしょう。小さなお皿にいくつもの料理を並べてチビリチビリとやる。あの当時の妻は夫が酒を飲み終わらないと食事をすることができません。

 あるお正月、どこかで転んだのでしょう。山高帽が凹んでしまいました。山高帽の素材はなんでしょうか、内側から金槌で叩いてももとにもどりませんでした。

 30歳代で血圧が200を越えていました。いつも胡桃(くるみ)を手に2個持って、ガラガラといわせていましたが、「弓」をやるようになってから血圧は急降下しました。

 3年で2段。3段は京都で受験しなければならないのでそのままになっていました。

 "巻藁三段(まきわらさんだん)"という言葉があり、弓道は的を狙わなくても、巻藁(弓を引く練習をする藁を巻いたもの)で型をきちっと決める練習をすると、上達するというのです。わが家の庭には巻藁がありました。右の写真はその勇姿です(※写真は後日掲載します)。

つづく

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このページは、宝徳 健が2011年7月11日 16:26に書いたブログ記事です。

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