このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。
さて、昨日の続きです。
この家は咸南魚聯(かんなんぎょれん)の社宅です。塀が上と下とが違った板張りになっています。これは、最初下の囲いの板張りがなく、通行人の眼がちょうどこの高さになり(※写真は後日掲載)、内部(庭や家)が丸見えになるので、ビッシリ板囲いをしたのです。こういうときは、お父さんはものすごく怒ります。いいかげんな工事をするなっ。
怒る?といえばこんなこともありました。誂(あつら)えの洋服を注文する。でき上がる。「ここが合わない」「ここが違う」と突き返す。何度も手直ししているうちに生地に鋏が入って修復不能になるが、それでも絶対にやり直しをさせる。もう許してやればいいのになと思いました。
若いとき、密漁船取締船に乗ることがありました。出かけるときお母さんが普段着ているレインコートを出すと「船に乗るのになぜ・・・」、ぼろなコートを出せと怒っていました。
お父さんは、結婚してすぐ、敦賀市(港)から清津府(せいしんふ 朝鮮咸鏡北道(かんきょうほくどう))までの日本海路を利用して単身赴任をしました。あとから行ったお母さんの話では、出てくるのはカフェー(いまのバー?スナック?)のつけ(借金)ばかりで、肝心のお金はなかったと言っていました。
前に怒ることばかりお話しましたが、つまり道理に合わないことはダメだの信念がそうさせるのです。
(つづく)
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