市民運動の実態②

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 昨日の続きです。
 1960年代、まさに60年安保の時代です。そこに「市民主義」という言葉が登場しました。これまた菅がしゃべっている言葉と一緒で意味不明です。「自覚的な職業人たる市民は政治権力に抵抗し社会を変革する『市民主義者』たるべし」です。

 ねっ? わけがわからないでしょ? こういうわけがわからない人に、みなさんは投票して政権をとらせたのです。こういう人間が政権をとったらどうなるかなど、選挙前からわかっていたのに。国民の不勉強が国家をだめにします。

福澤諭吉先生の言葉に以下のようなものがあります。
世に為政いせい)の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民とぼ)しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の貧弱は必ずしも政体のいたすところにあらず。その罪、多くは国民の不徳にあり。

 百四十五年前に福澤先生が心配されたことが、今、おろかな国民によって実現されてしまいました。

 戦後、どんなに苦しくても、日本人は共産主義や左翼には政権を取らせませんでした。

 この「市民主義」指導は、GHQが日本人に植えつけた「戦争犯罪プログラム」と不埒な日教組による誤った教育を受けた、穏健層に広がりました。「プロレタリアの祖国=市民社会」と読み替える人々も出てきました。スターリン独裁で傷ついた社会主義の祖国という虚構を守ろうとしたのです。

 さて、社会主義が崩壊し始めました。すると、1968年、チェコスロバキアの民主化を阻もうと介入したソ連軍戦車のキャタピラーはチェコの国民の踏み砕いていきました。

 左翼とは都合のよいもので、当初、このチェコ・ショックを味わった日本人左翼は、自分たちの都合のよいようにこの事実を読み替えたのです。左翼は、これが当たり前なのです。事実ではなく自己都合や思い込みです。法治主義ではなく人治主義です。「チェコの市民社会が未成熟だったからプロレタリア連帯は挫折した。だから、市民社会を日本ではもっと成熟させて社会主義を立て直さなければならない」

 一昨年の衆議院選挙で民主党に投票した人は悔やんでいるでしょうね~。その政党がいいとか悪いとかのレベルではないのです。 やくざより始末の悪い、こいつらに政権なんてとらせてはいけないのです。そんなことは、選挙前からわかっていたはずです。

 こういう時代背景を菅や仙石は経験してきています。鳩山はこういう環境下でも何も感じない人だったは思いますが・・・(つまり・・・)。

 市民主義者の菅について次回書きます。背筋が寒くなります。

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このページは、宝徳 健が2011年7月14日 17:08に書いたブログ記事です。

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