親父の親父の物語

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 このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。

 では、つづきを。

 お父さんは持ち歌があまりなく、歌はどちらかといえばヘタでした。正是(※まさよし:父のすぐ下の弟)があんなに歌がうまいのはだれの血を引いたのでしょうか。咸興師範学校でも「歌」を専攻せよ、と言われていたようです。
 
 師範学校は、官立咸興師範学校といい、咸興公立高等女学校、中学校、商業学校、農業学校などの「公立」よりは格が上で、国立といったら当たっているかもしれません。中学校が集まるときは、いつも師範は最右翼の列でした。

 興南邑(町)には、興南公立高等女学校と興南公立工業学校の二つしか中学校がなかったので、集まるときいつも、咸興府(市)の皆さんと一緒でした。

 お父さんが、飲んだら歌う(もちろん酔っ払って)のは♪佐渡おけさ でした。
♪アア~佐渡へ/佐渡へと草木もなびくよ・・・ この歌は案外むつかしいのです。 ♪白頭山節も、鴨緑江(おうりょくこう)節もレパートリーに入っていました。白頭山(はくとうざん)節は、朝鮮と満州との間に聳えるやまですし鴨緑江もこの境を流れていました。

♪白頭山節は、白頭み山に積もりし雪は/融けて流れてアリラレの/ああ、乙女の化粧の水
※アリラレは、どういう意味か分かりません。

♪鴨緑江節、朝鮮と満州の境/あの鴨緑江・・・・

(つづく)

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このページは、宝徳 健が2011年7月22日 10:11に書いたブログ記事です。

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