このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。
私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。
つづきです。
お母さんは結婚して渡鮮してから一度も内地に帰ったことはありませんでした。小学校低学年だったからはっきりした記憶はありませんが、玉川に行き、左近のおばあちゃん(お母さんの母親)に会いました。たしか、玉川の川の橋のところで、「おツイはげんきか?(※ツイは父の母の名前です)」と聞かれたことは覚えています。
おじいちゃん、おばあちゃんは、とにかく恥ずかしくなるほど可愛がってくれました。絣(かすり)の着物を着せて、仙台平の袴をはかせるので「イヤだなあ」と思いました。おじいちゃんは、いつもフラスコのようなガラスの器に入れたお酒を神棚にあげて、パチンパチンとかしわ手をうってから、飲んでいました。おばあちゃんは肝っ玉かあさんのようで、威勢がよかった。
なぜか知りませんが、そのとき京都にも行きました。身体の弱かったボクは疲れていたのでしょうか、名所旧跡を見た記憶はありませんが、豆落雁、五色飴、水羊羹・・・、を食べたことはよく覚えています。
つづく
おじいちゃん、おばあちゃんは、とにかく恥ずかしくなるほど可愛がってくれました。絣(かすり)の着物を着せて、仙台平の袴をはかせるので「イヤだなあ」と思いました。おじいちゃんは、いつもフラスコのようなガラスの器に入れたお酒を神棚にあげて、パチンパチンとかしわ手をうってから、飲んでいました。おばあちゃんは肝っ玉かあさんのようで、威勢がよかった。
なぜか知りませんが、そのとき京都にも行きました。身体の弱かったボクは疲れていたのでしょうか、名所旧跡を見た記憶はありませんが、豆落雁、五色飴、水羊羹・・・、を食べたことはよく覚えています。
つづく
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