親父の親父の物語

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 私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。

 三日間ブログをあけてしまったのですね。すみません。帯広出張は結構ハードです(汗)。言い訳するなっつううの。

 では、つづきです。

 私は、これをみるまで、信おじさんのことは知りませんでした。また、きょうだいのうち、今でも存命なのは、敏子、佳男、治です。

向かって左から

じいさん(義一)、親父(佳男)、叔父(正是)、伯母(敏子)、叔父(卓)、ばあさん(ツイ)

 

20110724073232.jpg 

  これはいつ頃の写真でしょうか。治がまだ生まれていませんね。姉さんが女学校の冬の制服だから昭和13年の冬かもしれません。お父さんが元山府廰(げんざんふちょう)から咸鏡南道廰(かんきょうなんどうちょう)に転勤になり、姉さんが咸興公立高等女学校に入学した年に写したのかもしれませんね。

 正是と佳男を比べると、正是のほうが強そうな面構えをしています。卓は1歳ちょっとかな(それにしては大きい)。子供は散髪を嫌うものですが、卓は床屋に行くと機嫌がよかった。

 わが家は、敏子、佳男、正是(まさよし)、信(まこと)、卓(たかし)、治(おさむ)の6人きょうだいでした。信は肺炎で2歳にならないうちに元山で亡くなりました。いまは肺炎なんかで死ぬことはありませんが、当時は打つ手がありません。鯉の生血を飲ませたりしましたが、可愛い笑顔を見せながら息を引き取りました。

 つづく

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このページは、宝徳 健が2011年7月29日 16:25に書いたブログ記事です。

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