親父の親父の物語

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 このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。

 ある人が「確かに面白いけど、こんなこと別にブログに書かなくていいじゃん」とおっしゃいました。確かにそうです(笑)。

 このブログは最初、人に読んでいただこうとしてはじめたのではありませんでした。自分が考えたこと、知ったことを、忘れないように(すぐ忘れるので)、自分の軌跡を残すために自分のために書き始めました。

 でも、なぜか途中から読んでいただける方々が増えて、コンサルとかの情報を載せるようにしました。みなさんにとても感謝しています。

 私は、誰よりも弱い人間です。力をつけようともがけばもがくほど、それを強く感じます。そんなときに、自分のじいさんや親父が、どう生きたか。同じように苦しんで、同じように悩んで生きてきたか。会ったこともないじいさんが、どんな人間だったのか。あの怖かった親父が、こんなに虚弱体質の子供だったんだ。 そんなくだらないことが確認できるだけで、生きる勇気がわいてきます。 それが、この「親父の親父の物語」です。いつか、私の息子(今、息子は、私のブログの存在を知らない・・・と思う)が、このブログを読んで、自分のDNAを確認してくれればいいなと思っています。親としては息子にできるだけ苦しい人生は歩んでほしくない。でも、神様は、成長を志向する人間にそんなことは絶対に許さない。そんなときに、役に立てればいいな。

 長くなりましたね。つづきを書きます。

 お父さんは仕事柄「船」を手配するのはお手のものでした。幼児期に死んだ信の精霊流しのときは、お供物をいっぱい積んだ「小舟」を漁師の船に積んで、一家がこれに乗り込み沖合いで流しました。ところが、このお供物を取ろうとして、朝鮮人の小舟が集まってきます。

 いくら注意しても追っ払っても近寄ってくるので、ついにお父さんはキレる。そこにあった伝馬船の櫓を振り上げて殴りかかっていました。いま考えてみたら、まだ三十歳そこそこのときだったので、それくらいの勢いはあったのですね。

 つづく

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このページは、宝徳 健が2011年8月 1日 21:11に書いたブログ記事です。

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