和歌

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 今朝、小野小町のこの和歌を紹介しました。

九重の 花の都に 住みはせで はかなや我は 三重にかくるる
 五十日村(いかがむら)の名前を五十河に変えるように進言した小野小町は、天橋立へと旅たちます。でも、途中でおなかが痛くなって、動けなくなり、また甚兵衛の家に戻ります。そしてそこで亡くなってしまったのです。なんと。

 小町の死後、都から深草少将が訪ねてきたのですが、小町の死を知った、少将は墓前で嘆き悲しみ、その夜亡くなりました。

 あれ? 深草少将は、前に紹介した、百夜通いで亡くなったのでは・・・・・。

 小町のためなら何度も死ねるのですね。まあ伝承ですから。

 今でも、この地区の妙性寺に行くと、小町が祀られています。

 五十河には、小野小町ゆかりの小町公園があります。その近くにお墓もあります。お墓に近くに、上田甚兵衛の墓もあります。

 ついでに・・・。

 昔、イザナギノミコトがイザナミノミコトの住むところに通うために、天上から梯子をかけて、これを「天の浮橋」と呼びました。イザナギが寝ている間に、梯子が壊れてしまいました。

 これが天橋立になりました。

 日本は素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2011年8月28日 22:20に書いたブログ記事です。

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